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薪で炊くお風呂

10日ほど前から、よほど時間がない時以外は薪で風呂を炊いている。
母屋の風呂は灯油を使って沸かすようになっているが、薪で炊くこともできるようになっている。
父はほとんど灯油を使うことはなく、夏は倉庫の屋根の上の太陽熱温水器の湯を使い、冬は、使わなくなったハザがけ用の棒や以前の家の廃材、庭木や果樹を切った枝などを薪として風呂を炊いていた。生活時間が違うので、わたしは母屋の風呂には入らず、自分が生活している離れにつけてもらったユニットバスで、ガスで沸かした湯を使っていた。

母が施設に入って、父が亡くなって、母家には誰も住まなくなった。
とにかくあらゆる物がいっぱいで(父も母も捨てられない人だった)少しずつ片付けていき、使わないものを処分していったら、母屋が廃屋のようになった。入母屋で、重い瓦をたくさん乗せた古い家がとても重たくて、嫌になった。壊して、その廃材(材や瓦はいいものを使っている。)でちいさな小屋を建てたいと思ったが、壊すのに何百万円もかかると言う。セルフビルドで家を建てるにも、わたしは紙で箱を作っても角が合わなくなるほどの不器用さで、とても家を建てることは無理。
一時は売却も考えたが、結局、自分で使う部屋を決めて必要な部分はリフォームして、気持ちよく母家を使って生活することにした。

父は自分のことは自分でしたい人で、掃除や洗濯も手を出されるのが嫌だったし、わたしも喧嘩してまでやる気はなかった。元々は綺麗好きな人だったと記憶しているが、歳と共に掃除はできなくなってどこもかしこも汚くなっていた。キッチンとトイレ、洗面台は新しくすることにしたが、風呂は迷った。タイル張で、琺瑯の浴槽。ユニットバスは綺麗で掃除が楽だが、あのプラスティック感は好みではない。それで、気合を入れて掃除してみると、思っていたよりも綺麗になって昭和感あふれるタイルも味があって良い。何より窓があるのが気持ち良い(離れのユニットバスには窓がない)。
灯油もまだ大分あったので始めはボイラーを使っていたが、父が残して逝った薪が風呂の近くに並べてあり、そういう古い木材を家のそばに置くのはシロアリが発生する元になると知人に注意されて、薪を消費するために炊いてみようと思ったのだ。

始めはなかなか火がつかず、やっと燃え始めたと思ってもしばらくすると消えていたり、こんなによく燃えたからもう湧いているでしょうと思って見にいくと上の方しか沸いていなかったり。待ちきれずに灯油を使ったら、風呂から上がる頃になって熱くなってきたり。入浴後は釜の窓を閉めて火が消えるようにするが、まだ沸いてくるかもしれないので湯は落とせない、とか。まだ、なかなかうまく付き合えないでいる。

ところが、今日感じたんですよ。
灯油で沸かすよりも、ガスで沸かすよりも、ありがたく感じるんですよ。
暑くて汗をかいた日でも浴槽に肩まで浸かって温まるのが好き。身体がじわぁと溶けていってほぐれる。身体の隅々にまで血流が行き渡り、疲れがとれる。頭や顔、身体をお湯で洗うのも喜ばしい。この気持ちよさが当たり前にあるものではないと感じることが、「有り難い」と感じること。
樹があって、材になって、薪になって。
去年植木の剪定で出た松葉を焚き付けに使って、マッチを擦って火をつけて。
薪に火が付くまで世話をする。
薪に火がついて燃え上がり、その炎や熾の熱が水に届いて少しずつ水が熱くなる。
その熱に身体を浸して、身体も心もほぐれていく。

嗚呼、今日のしあわせ。


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