『何も知らない』という事を知らない罪は重過ぎるよって話し。①
こんばんは。
年度が変わり、私は親戚の家で集まったり、美味しいご飯を食べたりとても良い一年の始まりだったように感じます。
相変わらずここ何年かは、正月と言えどおせちもお餅も食べることは無く。という感じですが(笑)
冬休みという事もあり、自由な時間が増える為考え事する時間も増えるわけなのですが、、、
少し前に古代ギリシャの物語を絵画巡りの影響でハマっていた為、また関連する本をちらほらと読んでいました。
今日のテーマは、主に〈古代ギリシャ〉哲学者ソクラテスの『無知の知』から認知心理学に絡めた『メタ認知』での自己把握について綴っていきたいと思います。
私が、大学の心理学科を専攻していた時の授業で『認知心理学』という授業があって、『認知=心の働き』(イド・エゴ・スーパーエゴ)だと言っていた記憶があるようなないような(笑)
『心の働き』なんて学んで、人の心への理解は深められるのか!?って感じだったのを思い出しました。(笑)
まぁ、そんな感じで
まず最初は〈古代ギリシャ〉哲学者ソクラテスの『無知の知』について。
『無知の知』の意味は、簡単には
”知らないことを自覚すること”
(以下、ソクラテスの概念となるキッカケ↓)
この哲学者ソクラテスは同じような言葉の意味として、『汝自身を知れ』(『自分を知り、自分の人生について決定を下せるのは自分しかいない』みたいな意味をもつ。)という言葉も残している。
今回のテーマには関係ない為、省くがとてもポジティブになれそうな言葉ではあるので気になる人はググってみてくださいな☺︎
『無知の知』の話しに戻りますが、文字通りの意味としては『無知であることを知っていること』が重要であるということ。
要するに、『自分がいかに分かっていないかを自覚するべき』だということ。
ここでいきなり、次の『メタ認知』という説明に移らせていただく。(笑)
『メタ認知』の意味は、
”認知していることを認知すること”
そして、『無知の知』に反映して生まれた言葉。
(『メタ=高次の』という意味)
『メタ認知』とは、自分が能動的に行っている言動について、もう一人の自分が客観的な立場から、その言動を調整したり調和したりする能力から定義される。
〈「無知の知」を知っていますか?
細谷 功さんの記事から画像を引用〉
ちなみにこの『メタ認知』が働かないと、『自分のことを知りたくない』と考える傾向にあるみたいで、、、
例えば、『自分はマイナス思考になりがちだ』と理解出来ていても、
『それがなんだ、他人には関係ない』
『もっとひどい人だっている』
という思考が生まれ、自分の欠点を受け入れることが出来なくなってしまう可能性がある。
このような場合、人からアドバイスをもらっても聞く耳を持てず、ひどい場合には『自分はこういう人間だから』と開き直ってしまうようになると考える。
そもそも自分のことを自分で知ろうとせず、『自分のことを理解してくれない周囲の人間が悪い』という考えに至る場合もある。
メタ認知能力が低いと、自分で自分の成長の機会を絶ってしまったり、他人に迷惑をかけてしまったりすることになる可能性は大きい。
全ては考え方次第と言ったら、片付いてしまわないものも片付くような気もしますが(笑)
この話を踏まえたうえで、次のnoteの投稿は、
哲学者ソクラテスの『無知の知』、認知心理学から『メタ認知』から考える私なりの自己把握というものを綴っていきたいと思います☺︎
長くなりそうなので、初めて投稿内容を2つに分けさせていただきます!(笑)
そして、薄々テーマと内容への理解が読んでいただいてる人には伝わりつつありますかね〜??(笑)
どうなんでしょう。。。(汗)
そんな感じで、『何も知らない』という事を知らない罪は重過ぎるよって話し。①
は、終わります。(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございました!
では、次回!!
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