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バレなかったらいいって、ズボン履いてるけどノーパンみたいな解釈でOK??

こんばんは。

私、今は滅多にドラマは見ないのですが、昔テレビで放送していた唯一好きなドラマがありまして。。。

『カルテット』という2017年にTBSで放送していた松たか子が主演のドラマです。

このドラマを見た事がある方は、
テーマを見て『あぁぁぁ〜〜』と思うかもしれません(笑)

(ある登場人物がノーパンで生活してるという、カミングアウトをしてきたという少しのエピソードなのですが(笑))

今回は、例としてノーパンで居るのが好きか、好きではないかみたいな軽い話ですね。
あくまでも、パンツの癖についての話では無いです(笑)

言うてもノーパンの人って、パンツ履いてるかどうか見た限りでは分からないと思うのですが、案外話す内容や行動からノーパン好きかどうかのヒントくらいは少々分かったりするのではないかという話しです。

『類は友を呼ぶ』って言葉。
私はこの言葉を作った人に金一封をあげたいくらい真髄をついていると感じる。(笑)

言葉の通りだが、
意味としては、気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる。 類を 以 もっ て集まるというものだ。

もちろんどんな人であれ、ノーパンはノーパン派同士で居るのが自然と居心地良いのだと考える。
それも多分、お互いノーパン同士だからこそ気の合う話しが出来るからだと考える。

そのようなノーパンと会話をしていて、もし自分がノーパンでは無い場合に、会話している相手がノーパンかどうかの判断はとても分かり易い。

それは、客観的にでも主観的にも違和感があると少しでも感じた際に『ノーパン組み』への理解が追いつかなくなる。

要するに自分は理解が追いつかない斜め上の考え方が分からず、ノーパン好きの仲間へ入れなかった事で、今自分と話してる人がノーパン派なんだと気づく訳だ。(笑) 

ノーパンの人はノーパン同士などで自然と話すことで、その話しがノーパン派でない人達には理解できず、ノーパンの人が『バレたくない』というように思っている事はノーパンでない人達から見たら、内容への理解は出来ないかもしれないが、この人は『ノーパン』なのだということはバレているし、『ノーパンなんだ』と思って会話も成立させる事が出来ると考える。

それをノーパン派の人達が如何にも『私はノーパンじゃない』みたいな顔をして街を歩いていようが、分かる人にはノーパンだとバレていると考える。

いや、こんな口調の綴り方をしているが別に『ノーパン派の人』が悪いと言っている訳ではない。

ノーパンじゃない人達も場合によっては、自分との相違があったとしてもノーパン派を『ノーパンでも良い』というノーパン派ではないが、受け入れる組み人もいるのかも知れない。

私は正直、表面状ノーパンでなくとも、なんであれノーパンかどうかなんてどっちでもいいとは思う。

ただノーパンはノーパンでも、柔軟性があり、ノーパンでない人を考えた対応をしてくれるノーパンが1番いいと言う事。
まぁ、好きか嫌いかと言ったらノーパンは嫌いですね(笑)

理解はしたいと試みるが、受け入れたくはない。
そんな感じ。(笑)


今回は、例えが少し不真面目ですが内容と解釈は読者の方に任せます(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございました☺︎

では。

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