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「コミュニケイションのレッスン」鴻上尚史

相変わらず、対話・会話・コミュニケーションに興味津々でありながら、ひたすらモノローグを綴っています。

鴻上さんの本を読みました。この方のメッセージは優しいというか、優しく響くので好みです。

コチラの本には、「コミュニケイション」は技術なので、やり方次第でどんどん上達するということが書いてあります。
なるほど、興味を持っているだけで、コミュニケーションを避けていては上達しないって、その通りです。はい。

まず、前提としてコミュニケイションのやり方は親のやり方を受け継いでいる場合がほとんどです。そしてそれが「当たり前」過ぎると、いかに親の影響を受けているかに気付くこともないのです。
そんな自分にとっての「当たり前」が万人にとっての「当たり前」ではないことに気付いていくことは、無意識にしていたことを意識的に見られるようになっていくことです。

何かに似ている。
そう、ビリーフの構造と一緒です。
コミュニケイションに限らず、親や育った環境、時代、地域などから受け継いでいる「当たり前」に気付くことって大事なのですね。

この本で定義する「コミュニケイション」とは、情報と感情をやりとりすることで、具体的には「聞く」「話す」「交渉する」という3つの技術だと書かれています。

確かに、「情報」を伝える手段としての「言葉」だけを使っていることをコミュニケーションと呼ぶのは物足りない気がします。
「感情やイメージを伝える」機能も併せてこそのコミュニケイションですが、一気に難易度が上がる気がします。でも、こうして意識的に「情報と感情」の両方を伝えようと意識するのであれば、「技術」としてスキルを磨くことも出来そうな気がします。ふむふむ。

そして、他の本でも鴻上さんが書かれていた「世間」と「社会」についても説明されています。

「世間」とは、あなたと利害・人間関係があるか、将来、利害・人間関係が生まれる可能性が高い人達のことです。
「社会」とは、今現在、あなたと何の関係もなく、将来も関係が生まれる可能性が低い人達のことです。

日本人は「世間」との付き合い方はよく知っているが、「社会」との付き合い方は得意ではない。

このような「世間」と「社会」の使い分けが、「本音」と「建前」につながっています。

そうはいっても、昔ほど「世間」は強固なものではなくなっているため、著者は現代の日本を「中途半端に壊れた世間」と捉えています。

ついつい前提を吹っ飛ばして自分の感情を語ってしまうのが「世間」での会話です。あ~、やってるなと思い当たります。
「甘え」もあるのですが、「世間」の会話は楽だし、当然に受け入れられているとの前提、安心感があって心地良いのです。
「社会」で通用する言葉は、「分かり合えない」を前提としたうえで、丁寧に自分の状況や感情を客観的に言葉にしていく必要があります。
なるほど~と思いつつ、面倒くさいな、大変だなと感じてしまう自分もいます。これが、コミュニケイション下手でい続ける要因なのだと気づいてしまいました。

この後、コミュニケイションの基本を「聞く」「話す」「交渉する」の順で説明されています。

鴻上さんの語り口を「優しい」と感じるのは、丁寧に技術としてのコミュニケイションを説明した後で、「早急に結果を求めないでください」という最後のメッセージがあるからです。

理論と実践をつなぐことは、仕事上でも長年のテーマです。
行きつ戻りつしながら、何度も何度も実践し、ゆっくり確実に変わるのです。
ワンクリックで変わる、これさえあれば明日から、秒で達成みたいなものより、ずっと説得力があり温かさがあります。

私のペースで、私の時間で、ゆっくり確実になりたい自分になっていくのです。このメッセージを受け取り、私自身もこのメッセージを人に伝えたいのです。

そんな余韻に浸る間もなく、違う切り口からの「会って、話すこと。」という本を読んでいます。

あれもこれも面白い。良いとこどりで進化していきます。

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