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ゆらゆらしている

これでいいのか?
わからない。
もっと何かできることがあるのではないか。

いつもゆらゆら、迷い続けている。
いつかは迷いがなくなるのではないかとも思ったけれど、これはずーっとなくならないものかもしれない。

そんな気持ちを抱えながら、藁にもすがる思いで手に取った一冊が、「『ゆらぐ』ことのできる力」

1999年と少し古い本ではあるが、今読んでよかった。
複数の執筆者の実践に基づくゆらぎ体験が語られている。
私自身の実践で体験したことや感じたこととの共通点が多すぎて、今だからこそ「わかりみが深すぎる」エピソードの数々。
自分が出会ってきた場面や人が、走馬灯のようによみがえり、ちょっと苦しかったり、懐かしかったり、冷静に振り返ってみたりと忙しい。

そもそも社会福祉実践とは、「ゆらぎ」と直面するものなのだ。
なぜならば、人の人生に関わる以上、「いかに生きるか」「どのように自己実現するか」といった問いに対する「常に正しい、すべてに共通する答え」など存在しないから。

だからこそ、常に目の前の人との関わりのなかで生まれる「ゆらぎ」を回避するのではなく、しっかりと直面する力が必要なのだ。

安易に「ゆらぎ」を否認することは、自分の了解できる範囲内での「決めつけ」や「その場しのぎ」を生む。
私が、ゆるぎない援助者に対して感じる違和感の正体はここにあるのかもしれない。強くなりたい、きっぱりと道を示したい衝動にかられることもあるが、同時に、それは違う、安易だとストップをかけてきた。自分で自分を苦しめている気もしたが、それは「ゆらぎ」に直面してきた足跡なのだと捉えると、「私もなかなか頑張ってきたじゃないか」なんて思いも生まれる。

「ゆらぎ」の肯定的な側面やその意義を再確認して安堵するとともに、やっぱりこの先も「ゆらぎ」とは付き合い続けていくのだなというしんどさと途方のなさに目が眩む。

ただ一つ、確信したことは、あの時の迷いと同じ場面は二度とこない。それでも、あの経験を経た今の私の「ゆらぎ」はあの時よりも地に足がついていて、同じことに同じようにオロオロしているのではない。そう強く思えた。

成長してるな。出会いの数だけ、いろんなパターンのゆらぎがある。
ありがとう。

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