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欲しい言葉

かわいいね。(本当はかっこいいと言われたい)
いい子だね。(こんなに我慢してるのに)
偉いね。すごいね。がんばったね。

それがたとえ誉め言葉だったとしても、

その時、その人にとっての「欲しい言葉」じゃなかったら、

素直に受け取れない。がっかりすることもある。

自分で決めるのが正義と思っているから、
他人に押し付けられるのは嫌いだから、

「好きなようにしていいよ」と言ったのに、

「一緒に」悩んでほしかった。「一緒に」決めてほしかったのに、と泣かれてしまうこともある。

誰かの「欲しい言葉」を当て続けるのは難しい。
自分が歩み寄り、相手も歩み寄り、一緒に探っていくしかない。
たまたま「分かる」ことがあったとしても、いつもいつでも「分かる」と「分かってもらえる」の関係が存在すると錯覚してしまうことは危険だ。

子どもが小さい頃、ぬいぐるみで遊んでいる姿をそっと眺める。
子どもがぬいぐるみにかけている「言葉」を収集する。
どんな誉め言葉を言っているのか。どんな風になぐさめたり、励ましたりしているのか。

ある日、収集した言葉を子どもに言ってみたら、ものすごくうれしそうな顔をした。

「欲しい言葉」に予測がついていたとしても、「私の言葉」や「私の価値観」を伝えたい場面もある。
「自分の感情」があふれ出して、つい爆発してしまうこともある。

「欲しい言葉」だけを探り合って、渡し合う、それだけがコミュニケーションではない。

そして、本当に「欲しい言葉」は自分にしか分からない。
もしかしたら、自分にだって分からない。

誰かに言われて、思いがけずうれしかった言葉。
誰かに言われて、思った以上に嫌だった言葉。

そんな経験にも磨かれながら、私の「欲しい言葉」の解像度を上げていく。

そして、誰かに言ってほしいと念じ続けるのではなく、自分で自分に言ってあげればいい。

私の「欲しい言葉」はなんだろう?
あなたの「欲しい言葉」は何ですか?

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