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「聞き手」になりたい

シリーズものは危険だ。収集心に火がついてしまうと止められない。
「収集心」は、物を集めることもあるけれど、「情報」を集めることに向けられることもある。
kindleでおススメされた本が、実はシリーズものだったということはよくある。次々と読み続けてしまうのは、面白いからでもあるのだけれど、ただ惰性でやめられなくなることも多々ある。止めれば止められるのだけれど、この「終わらせたい欲」に抗えない自分の中毒っぷりに慄いている。いや、呆れている。

今でもポチポチ追いかけているシリーズもののひとつに、宮部みゆきさんの「三島屋変調百物語」がある。

友だちと「街歩き」をしていた時に、「江戸」の話になり、こちらの本を教えてもらった。あまり時代小説は読まなかったのだけれど、見事にはまった。その時に出ていたシリーズは読破し、一段落しているのだけれど、最新刊が出ると横目で気になる。気にはなるけれど、すぐさまキャッチアップするほどでなくやり過ごしていた。
シリーズ最新刊「よって件のごとし」は、昨年の7月に発売されているが、読んでいなかった。

しかし、読み始めたら面白くて一気読み。
聞いて聞き捨て、語って語り捨ての「黒白の間」で語られる不思議な話。
シリーズの始めで「聞き手」をつとめていたのは、「おちか」という悲しい事件で心に暗い闇を抱えて親戚である三島屋にやってきた。そこで語りを聞くことで、立ち直り、成長し、という展開があり、シリーズ第5作「あやかし草紙」で、第一期が完結する。
次からは、「聞き手」が三島屋の次男「富次郎」が務めることになる。このあたりで、一区切りでやめようと思ったのだけれど、やめられなかった。

そして今回の「よって件のごとし」では3組の「語り手」によって不思議な話、怪談が語られる。
最後の「よって件のごとし」は、江戸時代版ゾンビの話だ。めちゃくちゃ怖い。語られる「出来事」「事実」の描写も引きこまれる上、「語り手」がここに語りに来るまでの人生、想いも交錯するので、何重にも興味深く、面白く、切なく、輝かしい。
相変わらず貧困なボキャブラリーだけど、面白かった。

わたしも「黒白の間」で「聞き手」を務めたい。
怪談話を聞きたいわけでなく、「ここなら安心」と胸の内を話す「場」
その「場」の主であり、「環境」であり「触媒」であり「鏡」となる存在。

そういうものになりたいのだなぁ。
「やりたいことがわからない」と言いながら、「こっちだな」「こういう感じがいい」というのはちゃんとわかる。ふわっとしてるけど、結局変わらない。

語り手が「おちか」から「富次郎」に変わったことも、それぞれの「個性」や「揺らぎ」があることこそ魅力的なのだと改めて感じる。
そういう意味でも「聞き手」になりたいは、「おちか」になりたい「富次郎」になりたいではなくて、「わたし」でありながら「聞き手(のような存在)」になりたいという願いなのだ。


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