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欲望の解像度

気が付けば、夜だった。もう一日が終わる。
毎日毎日、夜になってから慌てる。何で慌てるのか分からないけれど、「何もしていない」って思うことが多い。
実際には「何もしてない」ってこともないのだけれど、毎日毎日「何もしてない」って思うのだ。
そんな日々の積み重ねで、年単位、十年単位を振り返ったときでさえ、「何もしていない」と思うのだ。ここの所、そう思う回数が増えている。

この「何もしてない」っていう焦りと向き合ってみたい。

「本当はこうしたかった」「こうなりたかった」という「理想」があって、その「理想」と違う「現実」に失望しているのではないか。
ということは、その「理想」に向かって「何か」をすれば、この焦りは消えるのではないか。では、「理想」の解像度をあげることが必要だよね。と、ここまでは、筋道が立っているように見えるのだけれど、大きな問題がある。
それは、「理想」が分からないのだ。
目標設定とか、「こうなりたい」を描くことが出来ないのだ。それは長年の懸案事項だ。
しかし、このままでいいとも思っていない、満足していないから厄介なのだ。
かといって、意識が未来にお出かけし過ぎて、「今」がお留守になっていると、「もうこんな時間だ」と一日が終わっているという現実があり、振出しに戻る。エンドレスにそんな毎日が繰り返されている。

時間の使い方、命の使い道、つまり、どう生きるのか。壮大なテーマを前に途方に暮れる人生だ。やれやれと諦めモードに入る年齢ではあるけれど、できればもっと明確な何かを見つけたい。
とりあえず、欲望の解像度をあげることが必要だ、偽物の欲望に振り回され過ぎている。

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