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星の欠片

今日は新月。このnoteの毎日更新を始めたのも新月だった。
そんな何かを始めたくなる区切りの新月に、「AWAKEME 星空のサウンドバス瞑想」を体験してきた。

頭の中の雑音と胸のザワザワを鎮めたいという意図もあった。

まずは、ゆったりと瞑想から始まった。プラネタリウムの星空を眺めながら、マインドフル誘導?ガイド?してくれるのだけど、正直、「言葉」が多すぎて頭が空回りしてしまった。自分には、言葉を追いすぎる傾向があるのだなと実感した。
「わたしたちは皆、星のかけら」
「ほんとうの願い」
自分の内側に目を向ける暇がないほど、次々と言葉が紡がれていく。

こんなに「言葉」に嫌悪感を感じている。今、何に反応しているのだろうか。

後半は、サウンドバスが始まる。
音、振動が身体に直に入ってくる感覚が心地よい。
まさに「音浴」の中で、ゆらゆらと「整いました」って感覚だった。
最後に「声」を出す。「言葉」ではなく「音」としての声を出す。
低い声を出したい気分だった。実際に声を出してみて、「頭」で響かせるのではなく、「胸」や「腹」で響かせたいのだなと分かった。自分が楽器になった感覚を味わった。

話すことや声を出すことが嫌だと言い続けてきたが、「音」としての声よりも「言葉」に対する抵抗があるのかもしれない。
そして、頭に響かせる音としての自分の声にうんざりしていたのかもしれない。
頭に響くのが「うるさーい」と怒っていたし、力を奪われていた。自分のために出している「声」ではなかったし、よそ行き外向きの「ウソ声」、嘘までいかなくても「仮面声」を多用している。もはや、どれが「ほんとう」かもわからない。

満点の星を眺めながら「コンステレーション」という言葉が浮かぶ。
星は星としてそこにあるだけなのに、たまたま地球から、そう見えるだけなのに、「星座」という名のもとに結びつけられ、意味づけられて、物語られる。それをすべて「悪」とは思っていないけれど、今はちょっと拒否したい気分だった。

言葉を拒否しつつ、今日も何かを「言葉」で綴ろうとしている。
言葉以上に、言葉の外に、感じている、味わっている感覚を大事にしながら熟成してみよう。

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