息子、保育園入園
1.寂しさと解放感と
春たけなわ。
この4月から、うちの息子さんは保育園です。早い。まだまだ先だと思ってたのに、いつの間に時は経ったのか。
人づてに聞いていた感情は一通り味わいました。
まだこんなに小さいのに預けて可哀想とか一緒にいてあげなくてごめんねとかもう少し一緒にいたかったなとかぁあーとうとう一人の時間が出来るやったぁああーー!とか。
現在慣らし保育中、預ける時間を少しずつ延ばしながら保護者は外で待機しています。職場復帰は慣らし保育が完了してからなので、この外での待機中は完全なる私の自由時間(すぐ駆けつけられるよう、あまり遠くには行けませんが)。私はこれを前々からすっごく楽しみにしてたのです。
アレもしたいコレもしたいアソコに行ってココにも行くんだ!
慣らし保育から復職までの貴重なこの期間、私の期待と妄想は膨らむばかりでした。
……しかし。
現実は妄想通りに動くはずもなく。
慣らし保育が開始した現在。
私は何をするでもなくひたすらスマホにかじりついています。
なぜそうなったのか。
原因は、スマートカメラにあります。
2.電脳カメラはもみくちゃに
息子の通う園は、スマートカメラなるものを設置しています。室内にカメラがついていて、保護者はネットを通じて中の様子を自分の端末でリアルタイムに閲覧することが出来ます。つまり、今この瞬間、我が子が園で何をしているのか、見れるということ。
朝、保母さんに抱っこされながら泣きそうな顔でこちらを見る息子の顔に心臓を鷲づかみにされながら、表向きはカラッと笑顔で園を出て……
……スマホにかじりつきます。
あの後どうなった!?
泣いてるんじゃないか!?
ちゃんと構ってもらってるか!?
そこからは一喜一憂です。
抱っこしてもらってる、よしよし。
オモチャで遊んでる、よしよし。
おい、なんでそんな隅っこにいるんだ、真ん中に行きなさい!
泣いてないか!? この顔、泣いてないか!?(画像が粗くてはっきり分からない)
しかもこのカメラ、室内全体を映せるほど広範囲でなく、狭い視界が上下左右に動く形式なので、息子は映ったり映らなかったり。映ったと思ったらすぐ消えたり、ずーと映らないのをジリジリしながら待たされたり。日によっては息子と同じ色のシャツズボン姿のダミー息子がいたりしてしばらく騙されたりもする。
ある程度映す場所は画面で操作できるはずなのですが、こちらの操作通りに動いたかと思えば真逆の方向にグイグイ動いていったりすることから察するに、多分複数の保護者が一斉に同じカメラを操作してる……。
凄い絵面が容易に想像できます。一台のカメラを何人もの保護者が寄ってたかって掴んで、うちの子はこっちだ、うるせぇうちの子はあっちにいるんだギチギチギチと繰り広げられる熾烈な争い。我が子を預けている間、ゆっくり寛ぎタイムを過ごしているはずの保護者たちはそれと程遠いひとときを過ごしているわけですね。
今もnoteを書きながら、定期的にブラウザを切り替えてチェックしてるんですが、気がきじゃありません。
2人の園児仲間と一緒に計3人で昼食の席についている息子が一瞬映ったかと思えば、またカメラは明後日の方向へ。やっと元の位置に戻ってきたカメラに映っているのは、1つだけ空になった席、そして画面の隅には脱走していく息子の尻。
そしてまた別方向へ滑っていくカメラ……。
こら息子、どこへ行くんだ!
もうちょっとだけ映してくれよ!
ぬわーと頭をかきむしりたくなる衝動を抑えながら、ひたすらカメラを戻そう必死で画面を押すのです。
3.親はなくても子は育つ、とはいうけれど
そして今、三時間の保育を終えて帰宅し、眠りこける息子を見ながら続きを書いています。
離れている間も子どもがどんな風に過ごしているか、出来る限り見逃したくない自分のせいで、自由を満喫する計画は失敗です。
まあ、これはこれでいいさ。
こんなことが出来るのも復職したらする今週末まで。仕事が始まったら、朝預けて仕事に忙殺されているうちに気がついたらもう夕方、なんてことになるのでしょう。
私が知らない時間を過ごす息子が当たり前になっていく。
寂しいけれど、皆いずれは通らないといけない道だからしかたない。
……でも息子、まだ1歳にもなってないのよ?
早いよなぁ。
2歳か、せめて1歳半くらいまで待ちたかったなぁ。保育園に入れたのは自分だけど。
もうすぐ歩けるようになりそうだし、一緒にお出かけできる範囲もこれから広がるってときなのになぁ。
実生活圏内でこのブログを知っている人がほぼいないのをいいことに、本音をうだうだぼやいたところで、今回は終わり。