ラジオの魅力

聞き手に言葉だけでレースの臨場感や醍醐味を余すことなく伝える ー そんなラジオの魅力を私に教えてくれたのは、間違いなく文化放送アナウンサーの松島茂君だ。
その松島君が2月23日に亡くなった。闘病中だったことを私は知らず、電話で死去の知らせを聞いて言葉を失ってしまった。

2004年に現役を引退し指導者となってから、駅伝やマラソンのテレビ解説に呼ばれるようになった。2006年だったか、初めて箱根駅伝のラジオ解説の依頼が文化放送から来た。

『花田監督、実は私も早稲田卒で、花田監督とは同期なんですよ!』

スタッフの皆さんと打ち合わせした後、軽く食事でもと誘ってくれた松島君がそう切り出すと、すぐに意気投合して、私は初めて会ったとは思えないほど松島君に親近感を覚えた。

『じゃあ、明日も早いのでそろそろ帰りましょうか!監督も明日に備えてゆっくり休んでください!』

『そうですね!じゃあ、松島君も…』

『…そうしたいところですが、この後、選手資料のまとめをやらないとなんだよね^^;』

翌朝、予定より少し早めにスタジオに来た私よりも、はるかに早く松島君は来ていて、

『おはようございます!花田監督、今日はよろしくお願いいたします!』

そう元気に挨拶をする彼の放送席には、出場大学全選手の名前(ふりがな付き)、出身校、ベストタイム、特徴(注目選手に関してはインタビューした内容まで!)が手書きでビッシリ書き込まれた大きな紙が置かれていた。

『すごいねー!これ、昨日のうちに作ったの?』

『いや〜何が起こるかわからないからね〜。いざと言う時はフォローお願いしますよ!』

『いや〜こちらこそ!実はよく知らない選手も多いので、その時は頼みます^^;…というか、逆に細かい情報は松島君に任せるので、私は選手の走りの様子や、ちょっとした変化を伝えるようにするよ!』

そんなやりとりで始まった私の初めてのラジオ解説は、とても新鮮で、学ぶことばかりだった。

その後、上武大学が箱根駅伝に出場する2009年までは、箱根駅伝はもちろん、出雲や全日本大学駅伝にも都合が合えば解説で呼んでもらって、何度となく松島君と組ませてもらった。
松島君の実況は、その熱い語りぶりはもちろんだが(声も大きいので放送前テストでボリュームを絞られることもあった)、詳細な選手情報に重ねて目に浮かぶような状況説明が加わるので、隣に座っている私は聞き惚れてしまうこともあった。

『花田さん、いまの走りはどうでしょうかー?』

『いや〜、さすがにレース後半になって上体はブレてきましたが、足はまだしっかり動いてますので、記録も期待できますよ!』

松島君の振りに、私は競技者・指導者目線での情報を伝えるといった形で、自分で言うのもなんだがすごく息のあった実況・解説コンビだったのではないかと思う。

GMOアスリーツの監督となってからは、テレビの方で解説をすることが多くなった。最後に松島君と一緒に仕事をしたのは一昨年(2018年)の出雲大学駅伝。

『花田監督、今日もよろしくお願いいたします!』

『こちらこそ!よろしくお願いします!また一緒にやれるのを楽しみにしてましたよ!』

『いや〜、花田監督からそう言っていただけると光栄ですよ!でも今回、私は情報センター担当なんですよ…もちろんバックアップはしっかりやらせていただきますよ!』

相変わらずよく通る、張りのある声でそう話す松島君は、以前に比べて少し痩せてシャープになった気がしたけど、その日も私は解説、松島君は情報センターという役割で素晴らしい放送ができたと思う。

私が大学を辞めて実業団の監督になることが決まった後、松島君に会った時にこんなやりとりがあった。

『もう箱根駅伝と関係なくなるけど、今度は選手たちをマラソンで活躍させるから、松島君もマラソンの実況でうちの選手たちのことを話してよ^_^』

『いや〜!それっやりたいねー!…でもうち(文化放送)、マラソンの放送持ってないからな(^^;』

今回の東京マラソン、松島君は天国からきっと熱い熱い実況中継をやっていたに違いないと思う。私がそっちに行くのは何年後になるかわからないけど、その時には、また駅伝やマラソンの実況・解説でコンビを組もうね。
その時まで…寂しいけれどさよなら。