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私自身は「花束みたいな恋をした」だろうか

―――あの歌も、あの道も、あの味も、全部覚えてるよ。

先日、菅田将暉・有村架純のW主演映画「花束みたいな恋をした」を観てきました。感想の配信はこちら。

主人公たちに感情移入してしまう理由

京王線の明大前駅で終電を逃したことで偶然出会う、山根麦(菅田将暉)と八谷麦(有村架純)。その夜から始まる二人の「最高の5年間」を描いた、というのがこの映画の本当におおまかな、ざっくりし過ぎてるほどのあらすじ。

私は「マニアックな映画も観るよ?『ショーシャンクの空に』とか」なんて言っていたサラリーマンを鼻で笑いたくなるし、天竺鼠のライブチケット持ってたのに行けなかったとかそんな事あったらしんどすぎるし、「クロノスタシスって知ってる?」って聞いたら「知らない」って言うくせに350mlの缶ビール片手に一緒に散歩してくれる人が居たら多分惚れてる。どっちかっていうと麦や絹サイドの人なのかなと思う。

だから、家に行って「ほぼうちの本棚じゃん……」なんて思える本棚に出会ってしまったら運命を感じてしまう気持ちも、なんとなくわかってしまう。

21歳っていうモラトリアムの終わりが見えてきている時期に、趣味が合う人とただ好きなものを語り合えるって最高に幸せだし、自分自身もわかっているレベルの現実逃避だし、それが恋愛感情を持てる相手となら尚更、楽しくないわけがない。

だって、私にもそんな経験、心当たりがあるから。

そして、きっと同じような経験をしてきた人って、ごまんと居るとも思う。

これはもう本当に「共感の名手」なんて異名もある脚本家の坂元裕二さんのストーリーテリングがうますぎるんだ。

(余談だけど、去年の4月に中止になってしまった坂元裕二さんの朗読劇に、千葉くんと芳根京子ちゃんがタッグを組んで出る予定だったの、本当に聞きたかった。最強のJMEコンビ……高嶺の花……宇都宮とななちゃん……)

その経験は「花束みたいな恋」だったのか

2015年から2020年までの2人の恋を時系列で追いかける「花束みたいな恋をした」を観たら、自分の恋愛を振り返った人も少なくないのでは。

私にとっては時間軸としてはもう少し前、大学生だった頃の日々を思い出させてくれるストーリーだった。私のエピソードを語ればまたキリがなくなるんだけど、あの音楽とかあのゲームとかあのドラマとかきっかけに、一晩中話せたよなっていう思い出はその頃の恋愛だけじゃなくていくらでもある。

でも、私にとってその思い出した恋愛は「花束みたいな恋」だったのかな、なんて疑問に思ったりもして。

私はきっと、その時の恋人と今すれ違ったとしても、絶対に背中越しに手を振ったりしない。思い出して食事をしながら感慨に浸ることもないと思うし、ストリートビューで過去の自分たちの姿なんて見つけた日には削除依頼を出す(どんだけだよ)。

「花束みたいな恋」だったと思える為には、出会いも過程も別れも全部大事なんだよななんて、当たり前のことを考えたりもした。

自分の心の中の「花束みたいな恋」はどこにあるんだろう。

でも、あの歌も、あの道も、あの味も、全部覚えてる。そんな花束みたいな思い出は確実に私にもあった。それは間違いないということも、この映画は思い返させてくれた。ありがとう。

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