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映画鑑賞『12Angry Men/ 12人の怒れる男』1957年 <感想②>興味深かったシーン


not guilty… 最後の一人

雨はやがて土砂降りになった。評決は佳境に入る。
事件の詳細、目撃証言についてはネタバレになるので書かないが、一人また一人と、無罪つまり「合理的疑い」を受け入れる展開になる。
二人残った有罪派のうち、陪審員4が「合理的疑い」を認め無罪に変わり、ついに無罪11:有罪1になった。有罪主張最後の一人は陪審員3。彼は息子と不仲で、数年会っていないという。

11人の目が陪審員3に集中し同調圧力がかかるが、考えは変えないと抵抗し、大声で少年の有罪をまくしたてる。
そして一瞬息子の写真に眼をやるシーン。その瞬間彼の態度は急変し、写真を破る。「このドラ息子が…」子どもが父親に感謝していないと言って泣き崩れる。

「not guilty…」
そしてついに陪審員3が無罪を受け入れ、12人全員一致で無罪が決まった。陪審員3があっさり無罪を認めるシーンは、ちょっと唐突な感じもするが、仲違いした息子と少年を重ね合わせ、悪い子どもには罰を与えなければならないという考えが根底にあるとすれば、一応最初に伏線は張っていたということか。

しかし少年は本当に無実だったのか?
映画では最後まで語られることはない。

印象的なラストシーン

陪審員たち12人は、無罪評決が決まると、まるで何事もなかったかのように、おのがじし黙って陪審員室を出て行った。
裁判所を出ると、それまでの激しい議論と混乱を洗い流したかのように、雨は止んでいた。
最後、裁判所の階段で陪審員8と9は自己紹介をする。視聴者が初めて二人の名を知る瞬間だ。
#9「あなたの名前は?」
#8「私はデイビス」
#9「私はマッカードル、So long」

ニューヨーク郡裁判所

裁判所の階段を降り、右へ左へそれぞれの生活に戻って行く陪審員たちの後ろ姿。今後彼らの人生が、どこかで再び交錯することはあるのだろうか? いや、きっともう逢うことはないのだろう。
しかし、この陪審評議の経験は彼らの人生に何かしらの影響を与えたに違いない。陪審員3と息子の距離は近くなったのでは?と思ったり。
そんな余韻をもたせるエンディングだった。

有罪の立証責任は検察側にある


よくできた映画だが、多少無理な展開がある。
陪審員8がスラムで見つけ買ったという、凶器と同じ飛び出しナイフをいきなり出したのには驚いた。一点ものと思われた凶器の特殊性が崩れる、もっとも盛り上がるシーンのひとつだが、法廷に出された証拠以外のものは認められない。

また陪審員8の提示する「合理的な疑い」もどんでん返しのような決定的なものではなく、あくまでも「推定無罪」「疑わしきは被告人の利益に」の範囲にとどまっている。

刑事訴訟の立証責任は検察側にある。
陪審評決の無罪とは、検察側の証拠・証言に相当の疑問(不正確さ)があるという点において、陪審員全員が一致したということ。本来なら、ここで出てきた疑問点は法廷でしっかり追求されるべきなのだ。陪審員8は、少年の公選弁護人はやる気がなかったと言っている。

陪審員8役のヘンリー・フォンダは、まさにアメリカの正義漢という風貌だ。「人は見た目が〇割」などと言われるが、いかにも誠実そうな見た目、話し方が彼の無罪主張に重みを与えていると感じた。

【 最後に個人的に面白かった、興味深かったシーン をいくつか 】
覚書きです。英語は正確でないかもしれません。

possible と probable の違い

陪審員8が何度も言う「It's possible」
同じナイフで少年以外の誰かが刺したのではという、真犯人が別にいる可能性について議論するシーン。

#8:I'm just saying a coincidence is possible. 偶然はあり得ると言っているだけだ。
#4:But not very probable. だが現実にそんなことは起こらない。

▼probable と possible は日本語ではどちらも「可能性がある」の意味で使われることが多いが、英語だと違う概念で、理解するのが難しい言葉だ。辞書などで調べると、ありそう、起こりそうな程度、確率でいうと、
possible < probable とある(程度は主観的)。
probability には昔から「蓋然性がいぜんせい」という翻訳語が付けられ、違うものと認識されているが、日常会話ではあまり使われないように思う。probable は可能性がかなり高い、という意味で訳されている。possible は、確率は低くても可能性はあるという感じ。本来、可能性は1%でも「ある」か「ない」か、蓋然性は確実性の度合いで「高い/低い」で表現する。

possible but not probable 可能性はあるが実際には起こりそうにない、不可能ではないが可能性は高く[あまり]ない(出典:英辞郎)

https://eow.alc.co.jp/search?q=possible+but+not+probable


陪審員8は何度も「It's possible(可能性はある)」と言っている。少しでも可能性があれば、真剣に考えなくてはならないと。ここが大事なところ。

「He don’t even speak good English.」

スラムの人に対する偏見丸出しの陪審員10が、「彼は英語すら正しく話せない」と言おうとして、
「He don’t even speak good English.」と言ってしまい、
「 doesn’t ~ですよ」と陪審員11に訂正されるシーン。くだけた口語で「He don't」は言うようだが、自分で「good English」と言っているので、これはばつが悪い。

視力1.0です

高架鉄道の通過車両の窓越しに殺人を目撃した、という向かいのアパートの女性の証言で、法廷で女性は眼鏡をかけていなかったが、目頭に眼鏡の跡があり、近視の可能性があるから見間違いでは、とされたシーン。
陪審員3「眼鏡はサングラスかもしれないし、遠視用かもしれないじゃないか(近視ではない)」
→ わたしは、「その可能性はある」と思った。どちらにしても視力に問題がありそうだが。
また近視の可能性を指摘した老陪審員9が、
「私は眼鏡をかけたことがない、視力 1.0 ですから(キリッ) 」のシーン
→ えっ? 視力が良くても、老眼にはなるはず。老眼鏡はかけないのか? と、近視のわたしは突っ込みたくなった。
※視力の表し方について:作中で、20/20 (twenty-twenty)と言っていた。わたしは知らなかったのだが、調べたらこれは日本でいう視力1.0に相当するようだ。20/20 は視力が良いということ。

***END***
読んでくれてありがとう。


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