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京都祇園祭2024 山鉾巡行(前祭)ハプニング、八坂神社と観光協会が揉めた「プレミアム観覧席」振り返り 

2024年の祇園祭の前祭山鉾巡行が、7月17日に行われました。
宵山期間中は雨が降っていましたが、17日は曇りがちながら、雨に降られずにすみました。なお後祭の山鉾巡行は7月24日です。


わたしはYou Tubeでライブ配信を見ました。
今年は見た限りでは、ハプニングがふたつ起きました。

鶏鉾にわとりほこの車輪が壊れる


巡行順9番目の鶏鉾が出発して間もない10時過ぎ頃、場所は四条柳馬場あたり。左後輪外周の「大羽おおば」という部材一枚が割れ巡行できず。車輪は木製。高さ約23m、重さ約10tという大きな鉾を支えている。
この車輪は、十数年使用の比較的新しいもので、毎年チェックはしているが気がつかなかったそうだ。原因はこれから調べるとのこと。
(参考:Yahooニュースなど)

鶏鉾が立ち往生したため、四条通では後続の鉾がぎりぎりですれ違い、鶏鉾を追い越してゆくという珍しい場面が見られた。鶏鉾は応急処置をして、後ろ向きで室町通の鶏鉾町に戻った。
余談だが、四条通の信号機は可動式で、巡行の前に歩道側に向きを変える。これも見物。

鶏鉾について

鶏鉾のタペストリー

▼わたしの以前の記事、京都書院アーツコレクション祇園祭の染織美術』の表紙になった、ベルギーより渡来の綴織タペストリーは、鶏鉾の最後部を飾る見送みおくり。山鉾の懸装品の中でも有名なもののひとつで重要文化財、実際に飾られているのは複製。

②蟷螂山のカマキリの腕がとれる


山鉾の中で唯一からくりで動くカマキリで有名な蟷螂山とうろうやまは、今年は巡行16番目だった。屋根のカマキリは、翅を広げたり腕が動いたりする。木製で体長1.2m。それが河原町御池あたりで左腕の一部がとれたようだ。ただ巡行に支障はなく、そのまま進んだ。

蟷螂山とうろうやまについて


蟷螂とはカマキリのこと。由来は『蟷螂の斧』の故事から。

南北朝時代 四條隆資しじょうたかすけの戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、御所車にカマキリを乗せ巡行したのが蟷螂山のはじまりといわれています。

蟷螂山公式ウェブサイト
蟷螂山 屋根にカマキリ

蟷螂山は、明から渡来(亡命)した家系で京都に住んでいた、陳外郎大年宗奇ちんういろうたいねんそうき(外郎は職業名)が、1376年、蟷螂山町にあった四条家の御所車にカマキリを乗せ巡行させたことに始まるという。
蟷螂山は、幕末に焼失して以来長く「休み山」となっていたが、1981年に復活した。
カマキリは、名古屋のからくり人形師、玉屋庄兵衛たまやしょうべい制作。カマキリの操作は代々の玉屋庄兵衛が行っているそうだ。カマキリは、2014年に修理が行われているが、からくりの部品(ぜんまい)にセミクジラのひげが使われており、現在入手困難とのこと。今後修理は別の素材で行われるのだろうか。
(参考:蟷螂山駒札、公式ウェブサイト、Wikipedia)

外郎家と蟷螂山の関係


わたしの以前の記事「夏越の祓」で、和菓子水無月外郎ういろうのところで少し書いたが、もともと「外郎」は、陳外郎の家伝薬から薬の名前に使われていた。その末裔である外郎家は、1504年に京都から神奈川県小田原市に移転、現在も小田原にある製薬会社「ういろう」に繋がっている。
外郎家は、上記の通り蟷螂山の始まりに関係していたが、小田原に移ってから蟷螂山とは疎遠であった。それが歴史家の取材を通じ、500年ぶりに交流が復活したそうだ。2015年から毎年当主と社員が巡行に参加しているという。
(参考:株式会社ういろう公式ウェブサイト、東京新聞WEB)

いろいろ歴史が繋がっていますね。


プレミアム観覧席について振り返り

京都・八坂神社の宮司が観光協会理事を辞任へ 山鉾巡行「ショーではない」プレミアム席を問題視 2024年6月13日 5:00 京都新聞

6月13日にこのような記事があったが、その後話し合いが行われ、6月20日に宮司の辞任は撤回された。

2023年から祇園祭の山鉾巡行の引き回しを間近で見ることができる、河原町御池交差点(南西)に「プレミアム観覧席」が登場。2023年は、一席40万円という高額でも8割近い65席が売れたそうだ。今年も60席、15万円と20万円で販売、50席以上売れたとか。座椅子に大きな座蒲団、日除けのパラソル付き。

プレミアム観覧席の扱いについては、八坂神社と観光協会が昨年から揉めており、八坂神社の宮司が「祇園祭はショーではない。山鉾巡行という神事であるのに、プレミアム席で酒を提供するのはいかがなものか」と苦言、その後話し合いがもたれ、ソフトドリンクのみ提供し、酒・食事なしということになった模様。宮司の辞任は撤回された。

八坂神社

野村宮司の記者会見まとめ


宮司のお話を、動画で見れる範囲でまとめてみた。

  • 神様を感じ取っていただける、ありがたいお酒なら良いが、ショーを見るような感覚で、巡行を見ながら酒を飲むということに反対している。(理事を辞任すると言ったのは)理事を続けると、このやり方を認めているように思われてしまうから。

  • 巡行終了後、場所を変え、神事の直会なおらい※として、お神酒や食事を提供するなどやり方があるのではないか。※直来とは祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒みけみきを神職をはじめ参列者の方々で頂くこと(神社本庁)

  • 本来の祭りはどういうものだったのかを、神社は伝えていかなければならない。経済効果だけを求めていけば、歯止めがきかなくなり、元に戻れない祭りになってしまうことを危惧している。

  • 理事退任の取り下げについて:今後の祭りのあり方について協会側と話し合いの場が持てたため。今後、良い祇園祭にしていきたいということで意見が一致した。

▼協会側:宮司の思いを汲み取れず、大いに反省している。
プレミアム席は、祭りの保存・継承のための新たな収益源とするねらいがあった。祭りの意義や歴史を学ぶ観覧席にしたい。

今年のプレミアム観覧席客へのインタビューでは、高額チケットや、酒・食事なしという内容でも、おおむね満足されていたようだ。

▼宮司はマスコミに対しても苦言を呈す。
京都新聞2024/ 6/20 の YouTube(野村宮司の記者会見)より
「日本の精神文化をご存知でない方々ばかり。祇園祭は先人から受け継いできた千年続く祭である。大勢の方が関わり多くの資金と時間を使ってなされる。正しい祇園祭を世界に発信するのが報道機関の在り方。一歩間違えば、とんでもない解釈となって世界に伝わってしまう。報道機関は正しい情報発信をしてほしい」

まったく宮司のおっしゃる通り。京都市は財政危機と言われていますし、市側の思惑はある程度理解はできますが、客寄せのために神事を利用するような形になってしまうのは避けるべきだと思います。

謎の多い牛頭天王


八坂神社の「神」は祇園社(祇園神社、1868年以降八坂神社)の祭神「牛頭天王ごずてんのう」。古くは祇園天神、祇園大明神といわれたように、天神を祀っており、中世に牛頭天王に変わったと考えられている。牛頭天王は、のちスサノオと習合。
牛頭天王の出自は謎が多く、渡来神、日本独自の神など諸説あり。

牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされるが、実際にはインド、中国、朝鮮において信仰された形跡はなく、日本独自の神である。

Wikipedia-牛頭天王


祇園祭の厄除ちまきが足りない、転売ヤーも出現

長刀鉾の粽(河井寛次郎記念館にて)

祇園祭の各山鉾町会所では、人気の厄除粽やくよけちまきが授与される。800円~1000円位。この粽は食べ物ではなく、飾ることで八坂神社の神が疫病や災難から守ってくれるという縁起物。ご利益・デザインは各山鉾ごとに違うのも魅力。家の軒先に一年間飾り、翌年新しい粽と交換する。古い粽は、八坂神社か各会所に設置されている返納箱に入れるならわし。

今年の長刀鉾の会所には長蛇の列ができ、購入まで2時間かかったとか。
ところでこの厄除粽、転売ヤーが出現して問題になっている。ネットには2~3倍の価格で出ているそうだ。購入数を制限する山鉾もあるが、対策には限界がある。
(参考:Yahooニュース 7/14の記事)

転売ヤーてどこにでも現れるんですね…。

一方この厄除粽は、近年仕入れが難しくなっているそうだ。業者に注文しても、十分な数が用意できない状態という。
原因は材料のチマキザサ不足と、作り手の高齢化による人手不足。チマキザサは京都市左京区の花脊はなせ地域で育成しているが、2000年代に絶滅の危機に陥った。チマキザサは、およそ60年に一度、一斉に花が咲き一斉に枯れるという不思議な生態をもつらしい。京菓子にも使われるチマキザサの需要は、京都市内だけで年間約1,000万枚にのぼる。
(参考「京生きものミュージアム」チマキザサの再生)

現在「チマキザサ再生委員会」がつくられ徐々に再生されている。昨年から再出荷できるようになったという。ここのチマキザサは香りがよく、葉の裏に毛が無いために加工がしやすいそうだ。
また粽はすべて手作りで熟練の技が必要。人手不足から行程の一部を機械化するところも出てきているとか。
(参考:左京区のウェブサイト、MBS news7/16の記事)

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