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文学碑や史跡の逍遥録

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文学碑や史跡の逍遥録
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#小説家になろう

『絹と明察』と文学碑  三島由紀夫先生 滋賀県

こんにちは。 『終戦の時は、わたくしは終戦の詔勅を親戚の家で聞きました・・・』。 とのインタビューで答えられた、三島由紀夫先生の声が聞こえてきそうな濃い夏の匂いが香る季節、皆様はいかがお過ごしでしょうか。 僕は執筆中の小説が佳境を迎え、家族の諸事情も終わりまして、セミの鳴き声に耳を欹てることができる余裕が増えました。文学碑のメモを更新いたします。 日本一大きな湖である琵琶湖、地図を見ますと日本の中心にぽっかりと穴が空いているように思えます。 京都から湖西線の電車に乗り

幻想文学の先駆者、泉鏡花先生の文学碑へ  -若菜のうち-

こんにちは。 久しぶりの文学碑巡りの更新になります。 泉鏡花先生。先生は明治後期から昭和初期にかけて活躍された小説家です。幻想文学の先駆者としての評価もされています。 大崩壊の巌の膚は、 春は紫に、夏は緑、 秋紅に、冬は黄に、 藤を編み、蔦を絡い、 鼓子花も咲き、 竜胆も咲き、 尾花が靡けば月も射す。 映画にもなっています草迷宮の一節。草迷宮は先生が逗子の仮住まいで執筆された小説です。相模湾を眺望できる公園の一角に文学碑があります。 以下、リンク。 単語単語の威厳

伊豆で見つけた文豪方の繋がり

こんにちは。 伊豆から帰り、桃源郷から現代に足を踏み込んでしまった少年のような気持ちで、齷齪する時の流れを感じております。いつのまにか新年度が始まり、桜吹雪の下をドキドキしながら歩いている頃でしょう。 さて、伊豆は多くの文学者が訪れました。静養のためであり、療養のためであり・・・。気候が穏やかで、空気が綺麗で、食べ物も美味しく、水が清澄で、と上げ始めるとキリがありませんが、とても良いところです。文学者が訪れる由縁を景色を眺めているだけで感じることが出来ます。 大阪生まれ

伊豆で磨かれた文学

こんにちは。 伊豆の文学碑のメモをしていませんでしたので、記憶を掘り起こしつつ花子出版noteを更新します。 川端康成先生の著書『伊豆の踊り子』の舞台でもあります、中伊豆。また、名歌であります、『天城越え』などなど、様々な歌や詩が読まれています。大自然の持つ、絢爛さと脅威の両方が入り乱れ、近代化されていない日本らしい美の香りが漂っていました。 河津川を覗き込むと、その水量にびっくりしてしまいます。終始、ドバドバと流れています。枯渇を知らない清水。耳鳴りを催すほどの水音です

美しい言葉の湖に浸りたい。      国木田独歩先生  逗子

こんにちは。 国木田独歩先生のお話を少々。 国木田独歩先生は、36歳で夭逝されました。今現在の平均寿命から考えましても、半分にも満たない年齢です。しかし、その美しい文章は後世に偉大な影響を齎しました。非常に綺麗な文章でして、自然の描写の文章を眺めていましても、山の声、木々の騒めき、小川のせせらぎ、そして四季の舞踏が瞳に宿ります。決して、押し付けがましくなく、且つ秘められた麗々しいを、そっと心に残してくれます。 好きな一節を。 代表作の『武蔵野』を含めた短編集、『武蔵野

ゆく年くる年   花子出版の変わった趣味

こんにちは。 2020年最後の花子出版のnoteになります。小説の傍で始めたnoteですが、軽快に心地よく継続出来ました。閲覧頂き、’’スキ’’を押して頂き、誠にありがとうございます。 noteを更新していまして、ラッキーだなあ、と思うことがあります。 それは、新しいハッシュタグを創造できることです。 昨日更新しました徳永直先生の記事、 は、花子出版が初めての #徳永直先生 となったわけです。先陣を切っているようで嬉しい。 日本の文学史には、多くの文豪が存在し、文

街を眺める、眉目秀麗な文豪

こんにちは。 帰熊しています。 熊本には文豪の夏目漱石先生の史跡が随所にあります。旧居や文学碑、詩碑などなど、歩いていますと、突如として現れます。こんなところにあったんだなあ、感慨深いものです。 夏目漱石先生は、明治29年「1896年」に第五高等学校「現、熊本大学」の教師として来られました。4年3か月の間、熊本に滞在されました。そして、家には書生も居られ、面倒を見ておられてました。書生は有名な大学へ進学された、と以前お聞きしました。 漱石先生の文学には、頻繁に「書生」

正岡子規先生の文学碑を訪ねて    横須賀

こんにちは。 深秋が過ぎ、木の葉の雨が聞こえてきそうな時期になりました。 長い小説を読んでいますと、偶に俳句や詩を読みたくなるものです。 正岡子規先生は明治を代表する文学者で、34歳で夭逝されましたが、先生の残された偉大なるものは後世に連綿と継承されています。敬愛する夏目漱石先生とも交友があり、夏目漱石先生の小説のも俳句にも影響を与えているとのこと。 そんな正岡子規先生の文学碑が横須賀に。 京急の汐入駅から歩き、海軍を眺望するヴェルニー公園の一角にあります。 横須賀

耽溺 「たんでき」    東京湾を眺望する岩野泡鳴先生の詩碑を訪れる予定でしたが( ; ; )

こんにちは。 文学碑巡りが趣味の男です。 文学碑を探していましたら、京急沿いに発見!!!。 岩野泡鳴先生の詩碑が中央公園の中にあるそうです。 岩野泡鳴先生のことは、名前は知っていましたが、書籍を手に取ったことはありませんでした。大変、罪な男です。 岩野泡鳴先生は、明治から大正にかけて活躍された自然主義作家とのこと。 ではでは、大好きな京急に乗って、横須賀中央へ・・・。 ・・・。 ・・・。 しかし、詩碑が佇む公園が、リニューアル工事中。がーん( ;  ; )

檸檬  れもん  レモン    大阪府

こんにちは。 昨日に続き、文学碑のメモを。 レモンスカッシュやレモンサイダーなど、「檸檬」と聞くと爽やかなイメージを持ちますが、梶井基次郎先生の名著「檸檬」は独特な読後感です。暗澹たる感情が沸き立ち、最後も不気味に終わります。しかし、不思議な読書体験が故に、何度も味わってしまうのです。檸檬のように。 大阪にて、梶井基次郎先生の文学碑を訪れました。靭公園内「うつぼこうえん」にある文学碑。夜でしたので、探すのに少し苦労しました。 びいどろと云う色硝子で鯛や花を打出してある

鴨川の対岸には、思いを馳せるあの子が・・・   京都

こんにちは。 京都の御池通にあります、夏目漱石先生の句碑を訪れました。 木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに 春の川を 隔てゝ 男女哉   漱石 句碑は昭和四十一年(一九六六)十一月、「漱石会」が明治の文豪夏目漱石(一八六七~一九一六)の生誕一〇〇年を記念して、句にゆかりの現地に建てた。 漱石は、生涯、四度にわたって京都を訪れた。最初は明治二十五年(一八九二)七月、友人で俳人の正岡子規とともに。二度目は明治四十年(一九〇七)春、入社した朝日新聞に「虞美人草」を連載する

随所に点在する文学碑。思いを馳せる

こんにちは。 文学碑は全国に点在しています。和歌や俳句や小説の一節など、文学作品に関する語や文章を刻みつけた碑のことです。言霊を大事にし、言葉を後世に継承するために、彫り込んだ碑でしょう。 綺麗な言葉には、心を濯いでくれるものがあります。 例えば、 夕暮からひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁って音を高めた。こんな雨では踊子達が流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっと坐っていられないので二度も三度も湯にはいってみたりし

神風連   僕らは欧米化の波に乗るのか?

こんにちは。 神風連 「しんぷうれん」 をご存知でしょうか?  明治初期、熊本にて敬神尊攘を信條とする一団がありました。それが神風連です。神風連は急激な欧米化に危惧し、ひたすらに神明の擁護を祈っていたが、明治9年の廃刀令の発布によって挙兵した。神風連は熊本鎮台を攻め、軍官の要人を襲ったが、近代火砲の前には長くは続かず、多くは戦死し、自刃して果てた。これを『神風連の変』と言っています。 神風連の方々の中には、国を思いつつ17歳で刀を咽喉へ突き立て死んでゆかれる方がいました

復活の狼煙   漱石先生、第3の旧居

こんにちは。 家庭の事情で帰熊してました。家庭の時間を費やし、ちょっとした空き時間に熊本を散策を・・・。 夏目漱石先生の第3の旧居へ。 先生が熊本で教鞭を執っておられるときに住まいになっていた場所です。水前寺公園の近隣にあります。 夏の日光が大地を焼き、水前寺公園から流れる澄んだ風を受け、先生がお座りになっていた場所に、僭越ながら同じように座りますと感慨深いものがありました。 先生は、この旧居で何を見て、何を考え、何を思っていらしたのでしょうか・・・。 職員の方から