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文学碑や史跡の逍遥録

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文学碑や史跡の逍遥録
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#熊本

細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩

こんにちは。 帰熊の際、『細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩』に行ってまいりました。 『細川コレクション特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩』が催されていることを事前に知っていたわけではなく、県立図書館にこもっていた際に特別展の情報を知りました。土方歳三ファンとしては、ぜひ行かねばと思い県立美術館に向かいました。 県立図書館があるのは、熊本城の二の丸公園の面したところです。以前、熊本城付近に住んでいたことがあり、二の丸公園には夜な夜な散歩していたことを想起

プロレタリア文学。徳永直先生の文学碑を訪れて  熊本県

こんにちは。 『プロレタリア文学』をご存知でしょうか?  中々聞きなれない言葉です。 Wikipediaによりますと、プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。 と記載されています。 徳永直先生(とくながすなお)は、日本のプロレタリア文学でも、非常に重要度の高い文豪です。出世作であり代表作の『太陽のない街』は、共同印刷争議を題材に描かれており、貧民窟で

新聞を読んだこと  夏目漱石先生を発見

こんにちは。 一人暮らしでは、新聞のない生活です。帰熊に伴いまして、久しぶりに拝読。 熊本日日新聞です。 辛辣なニュースもありますが、心温まる地方ニュースなどもあります。 そんな中、夏目漱石先生の記事がありました。先日も述べた通り、熊本と密接な繋がりがある文豪なのですね。嬉しいことです。 ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり と俳句が、刻まれています。 時間ができましたら、訪れたい!! 昨今、寝る間際、現実と夢の狭間ですが、漱石先生の『それから』を読みながら寝ていま

街を眺める、眉目秀麗な文豪

こんにちは。 帰熊しています。 熊本には文豪の夏目漱石先生の史跡が随所にあります。旧居や文学碑、詩碑などなど、歩いていますと、突如として現れます。こんなところにあったんだなあ、感慨深いものです。 夏目漱石先生は、明治29年「1896年」に第五高等学校「現、熊本大学」の教師として来られました。4年3か月の間、熊本に滞在されました。そして、家には書生も居られ、面倒を見ておられてました。書生は有名な大学へ進学された、と以前お聞きしました。 漱石先生の文学には、頻繁に「書生」

随所に点在する文学碑。思いを馳せる

こんにちは。 文学碑は全国に点在しています。和歌や俳句や小説の一節など、文学作品に関する語や文章を刻みつけた碑のことです。言霊を大事にし、言葉を後世に継承するために、彫り込んだ碑でしょう。 綺麗な言葉には、心を濯いでくれるものがあります。 例えば、 夕暮からひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁って音を高めた。こんな雨では踊子達が流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっと坐っていられないので二度も三度も湯にはいってみたりし

神風連   僕らは欧米化の波に乗るのか?

こんにちは。 神風連 「しんぷうれん」 をご存知でしょうか?  明治初期、熊本にて敬神尊攘を信條とする一団がありました。それが神風連です。神風連は急激な欧米化に危惧し、ひたすらに神明の擁護を祈っていたが、明治9年の廃刀令の発布によって挙兵した。神風連は熊本鎮台を攻め、軍官の要人を襲ったが、近代火砲の前には長くは続かず、多くは戦死し、自刃して果てた。これを『神風連の変』と言っています。 神風連の方々の中には、国を思いつつ17歳で刀を咽喉へ突き立て死んでゆかれる方がいました

復活の狼煙   漱石先生、第3の旧居

こんにちは。 家庭の事情で帰熊してました。家庭の時間を費やし、ちょっとした空き時間に熊本を散策を・・・。 夏目漱石先生の第3の旧居へ。 先生が熊本で教鞭を執っておられるときに住まいになっていた場所です。水前寺公園の近隣にあります。 夏の日光が大地を焼き、水前寺公園から流れる澄んだ風を受け、先生がお座りになっていた場所に、僭越ながら同じように座りますと感慨深いものがありました。 先生は、この旧居で何を見て、何を考え、何を思っていらしたのでしょうか・・・。 職員の方から