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英読書会-夏目漱石「彼岸過迄」

夏目漱石「彼岸過迄」(1912)読書会(2020/2/24)
参加者:英、AIさん

●序文が面白い。大病後の漱石。
●前後半で主人公が変わる。前半主人公の敬太郎の「なんか俺はすごいことできる感覚」と現実(就職難)とのギャップが今も共通する。(「それから」の時のように、当時は大卒でも良い就職先がなく、財産のある人は「高等遊民」となっていた)
●20世紀初頭、日露戦争後。満州や朝鮮、アジア諸国など新天地が開拓されるという期待の時代。学歴のある層は、新天地で自分たちが良い地位にありつけることを期待していた。それが事実上「日本による植民地政策」を後押ししてしまっている苦さ。森本のように、学歴やコネが無くても一攫千金目指して大陸へ出たりする、変革期のある種の人々。
●須永の母親のやっかいさ、身につまされる。善意の追い詰め。
●須永、自分の心に敏感でまじめなので、生き辛そう。グレーである、決めきれない辛さ。少し矛盾があると動けない。千代子に対し、「愛してなきゃダメだ」と思ってる。でも、「いやそれが愛ってことでいいんちゃうんか!」で動けたらいいのだけど。
●西洋の恋愛小説のように、ライバルを殺してしまうぐらい激しいものではない。近代の日本の現実。漱石の、日本で小説を書くことについて自分なりに正攻法をとっていそう。小説の「ストーリー展開」より現実の「リアルな心の分析」を描写。
●下女「作(さく)さん」の存在。須永は自分の生母のことを思い、本当は自分と近いのはこちらでは?と思っている。当時、学問を身につける層と、下女のような層では人種がまったく違うぐらいのレベル。前半で森本も敬太郎に「自分のような人間とあなたのように学問のある人は違う」という。
●下女はこれまでの漱石作品にもたくさん出てきて、人間性が詳しく書かれているのは「坊ちゃん」の清さん。そのほかはしっかりした登場人物としてはあまり出て来ず、背景的な存在として書かれてた。ある程度上流階級の家にはいるのが当たり前で、「それから」では借金をするようでも下女は雇っている。今でいう家電、スマホのようなもの。(現代社会で、スマホ持ってるからお金あるじゃん、とはならないように。)この時代、階級の格差がなくなりつつあり、下働きの人も一人前の人間となり、給与の相場が上がって行く。普通の家庭では雇えなくなり、奥さんが自前でやろうということになり「主婦」が誕生したそう。
●千代子が髪を結うところの描写、印象的。
●子供の死の描写。昔なので、小さい子は死にやすかった。(漱石自身もちょうど子供を亡くしている)これまでの漱石作品でも、死や葬式の描写がふっと通り過ぎる。
●千代子の「あなたは卑怯」というの、がつんと来る…
●たしかに須永はうじうじしてるんだけど、グレーな心の人に「卑怯」とか言うのきついなと思う。(自分もそうなので、とても傷つく。)千代子も悲しかったとは思うけど。
●鎌倉旅行(「こころ」も鎌倉のシーンなので、鎌倉好きなのかも)の、「誰もこの旅行積極的になってない顔色うかがい合いうだうだグループ感」がなんかリアル。
●タコをとるおじさんの描写。シンパシー感じている。
●須永のことを松本叔父が気の毒がる。今風にいうと「自己肯定感が低い」人。松本は「高等遊民」でもやっていける人で、コンプレックスもあると思うが、自己否定にはいたらない。しかし須永は出生のこともあり、なにかしら「働き、社会の役にたつ」ことで安寧を得られるということか。
●最後、旅に出た須永。関西弁に出会う。東京の言葉をディスる。箕面で「100年前のような気持ち」に。(タコのおじさんへの親しみと共通する)「虞美人草」でも、地方=古い時代、東京=新時代、のような象徴の対比があった。ここでは須永を通じ、東京の殺伐とした新しさに心を病んだ人に対して昔の生活の存在を思わせることへの意義を描いてる。
●「後期三部作」の1作目とのこと。どのような共通項が?

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