Vtuberが箱を使う理由をえのぐの歴史から考える

Twitterのタイムラインで見かけつつ、自身も「ヴァーチャルを使え」と唱えた経緯から手のひらクルーをしてみる。

気付いた人は気付いたかも知れない。
えのぐが新しい一歩を踏み出したので、花陽浴も新しく一歩を踏み出してみる。
これまで公式的にはえのぐ単推しとしてきたところを、えのぐ以外の推しも公開したので、タイムラインでも積極的に話題に上げたり、リツイートいいねはしていくと思いまする。
正直、実力を持ったVの者、単純に見ていて楽しいVの者、注目したいVの者。
界隈に目を向けて、えのぐ一辺倒だった視界を広げてみると、こんなにも世界は広かったのかと自覚できる。
あとは自分勝手な逃げ道を作れるので、精神衛生上、良い。
暇つぶしにも良い。
推しが多ければ、誰かの放送を見ることは出来るので。


本題


先日、コロナの件もバーチャルを活かしたプロモーションをすべきと書いたものの、何故、Vtuberが箱を使うのかを逆に考えてみた。

一般的にVtuberはYoutubeを基軸として「配信」の世界で活躍する。
だから「魂」はあれど、「バーチャル=仮想的」な存在である。
というわけで、単調に語るならバーチャルの住人ならばバーチャルで活躍してみせろよ、ということ。

別にバーチャル空間はYoutubeだけでなく、clusterやINSPIXなどの途上のものも含めて多種存在する。
そして、それぞれに持ち味があり、スペックを限界まで使い切ることができれば「配信」以上のインパクトを与えることは可能だし、リアルには出来ない演出も可能だ。
導入までのハードルは依然としてあるものの、VR機材を使えば、現実世界にはない「バーチャル空間への没入感」という唯一無二な感覚を味わうことも可能だ。
(あくまでも出来るということが大事)

それでも数多のVtuberは現実の劇場=箱を活用し続けてきた。
この流れはこれからも続き、そして大きくなっていくことは容易に予想できる。
どっとライブの幕張メッセ(Fabric)、ホロライブの豊洲PIT、にじさんじのZepp。
実際、いずれのイベントもチケットは即完売に近く、用意されたキャパシティ以上に「参加を希望するファンは多い」ことは明らかである。

花陽浴自身もえのぐを見つめ続け、追い続け、VRアイドルとVR空間を組み合わせたプロモーションを見てきた。
VRゴーグルを被り、VRアイドルと通常ではありえないような距離感で話をしたりする体験会から、リアルイベントでは味わえない感覚を感じたからこそ、えのぐにしかできないことを続けて欲しいと思ってきた。
ただ、それでも「VRでは駄目なんだ」と感じさせられたのは、彼女らが自ら行った1stライブだった。
UDXシアターと、小さな劇場だったものの、その場で体感する音場と雰囲気、そしてファンと会場と演者の一体感。
目で、耳で、体全体で感じる感覚は、VRでは決して味わえないものだった。
だからこそ感動したわけで、そこでVR空間は万能でないことを思い知った。

その後、INSPIXというシステムが出来、お披露目ライブを体験してみた。
味わったことのないライブ。
確かに、そのとおりだった。
VR空間をいっぱいに使った演出で繰り広げられるパフォーマンスは確かに圧巻だった。
あっという間のライブを終えて、VRゴーグルを外すと気づく。


何かが足りない。
1stライブで感じた、身体で感じた音圧や客席の盛り上がり、そしてファンの満足した表情や耳に届く称賛の声は、ここにはない。


そう。
ライブは、やはりライブでなくてはならないのだ。
人によっては騒がしい空間が嫌だということもあるだろう。
それは確かにそうだし、実際、花陽浴自身も「音楽」は「音楽」として楽しみたい派なので、コールやうるさく鳴り響くパワーだけのスピーカーなど雑音にしか聞こえない。
ただ、ライブは「聞く」のではなく、「乗る」ことが肝要のイベントである。
音に、演出に、雰囲気に。ありとあらゆる物が複雑に絡み合った波に乗ることがライブの本質ではなかろうか。

一方、配信ライブ、VRライブでは、個人で最大限楽しむことは出来るが、その空間内で、あるいはその空間をあとにしたとき「共有できる何か」は無いのである。
あくまでも「配信されたもの」を「個人で享受した」の枠でしか無く、一人でしか楽しめない。
その感動や空気感を共有することはなかなか難しい。
人は感動したり興奮を覚えると、自然と何かと共有したくなるものだ。
箱を使ったライブならば、会場の空気や見知らぬファンとも言葉を交わすことも容易だろう。
VRライブではそれは難しい。
一人でガッツポーズを決めることが関の山だろう。

それともう一つ。
バーチャルな空間ではファンの「ノリ」や「熱量」が感じにくいように思える。
実際「演者」の目線は知らないので、与えられた情報からの推測にしかならないが、バーチャルライブで熱量を測るには「コメント」しかない。
動員数も「数字」でしかなく、具体的にどれだけの人数が集まっているのか、全くつかめない。

仮にYoutubeでのライブに1700人集まってますよ、とあったとする。
これが多いのか少ないのか。
1000人も超えれば多そうとは思える。
現実的な数字を出せば、通勤ラッシュ時の山手線11両1編成の利用者数は2700人と言われるので、その半分程度。
世界最大の旅客機A380では最大座席は853人なので、最大人数を乗せても2機分相当。

はい。さっぱりイメージがつかない。
ラッシュ時の山手線相当と言われれば、多いんだろうなと思えるし、旅客機2機程度だと何だか少ないようにも思える。
数字だけだとこんなものである。

だから、どれだけの人が、どれだけ楽しんでいるのか、演者には感じることが出来ないと思う。
何にせよ「楽しんでいるというデータが目の前にあるだけ」なのだから。
もしかしたら真顔で「最高じゃんwwwwww」とか打ち込んでいるかも知れないと考えると、花陽浴には少々耐え難い。
こっちが最大限のパフォーマンスを真顔で眺められるほどの恥辱には耐えきれない。


でも、現実は嘘をつかない。
実際に目の前で、人の入りを確認し、会場で盛り上がる様子を見ることで、演者自身も「ライブ」に入り込むことが出来るだろう。
反面、どうしようもない現実を突きつけられることもあるが…。

つまるところ、ファンも演者も「最大限楽しみ、波に乗る」には箱はどうしても必要だ。
データ上のやり取りではなく、感覚を使って体感するライブを楽しむには、バーチャルではなく「箱」でなければならないということになる。
だから、きっとVtuberは「箱」を活用していくのだろう。
そしてファン側もそれを望み、チケットを勝ち取ろうとするのだろう。
それは「双方が楽しめる空間を共有するツール」なのだと思う。

ただ、一方でライブのみで完結するのではなく、バーチャルでの「共有」も同時に行って欲しいと思う。
前述した通り、居住圏や金銭的に「行きたくても行けない」ファンへの救済策としてだ。
せめて「ライブに参加した」「ライブと同じ時間帯に同じものを見た」という実績を得るには、何かで配信してもらうしか無いのだ。

実際、ホロライブの豊洲PITでのライブはニコニコ動画で有料ながらも配信が行われた。
会場が8500円に対して、ニコニコでの配信チケットは8000円と強気だったものの、花陽浴が見聞きした範囲では「確かに高い気もするけど、あれは見るべき」との声が多かった。
つまるところ「8000円という数字に抵抗はあるものの "8000円を出す価値" はあった」ということだ。
箱も使いつつ、バーチャルも利用する。
そういう意味ではホロライブの豊洲ライブは大成功だっただろう。


ややとりとめがなくなってしまったが、箱とバーチャルを併用することは合っても、バーチャルのみに固執することは、昨今の需要から見てもあまり意味がない。
加えて一度味わった「箱での感動」を前にすると、バーチャルでの感動はあまりにも「弱い」。
だから、一度箱を使ったVtuberは箱を使い続けることになる。
一度でも箱でライブに参加したファンは、また箱に赴くことだろう。
この連鎖が途切れるまで、Vtuberの「箱」利用は、今後も続き、どんどん大きくなっていくに違いないと思う。


最後に。
花陽浴も豊洲PIT行きたかった。
でも仕事だったから行けなかった。
チケット持ってたのに。持ってたのに!
ね。。。
畜生。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?