悪い知らせを伝える

 医療の現場で悪い知らせと言えば、検査結果が悪かったり、むつかしい病気とわかったりということになるが、やはり第一は命に係わる病気である事実ということになるだろう。癌は昔より治りやすくなっているとはいえ、癌というのは伝えられる方、伝える方双方にとって気まずいものとなりやすい。その中でも、すでに完治はむつかしい段階に入っている事実はつらい現実である。しかし今や、告知をするか否かといことは問題にされず、どのように伝えるかが考慮される時代となっている。治療方法が多様化しており、治療選択肢の中でどれを選ぶかは患者自身が決めなければならないのだから、患者自身が正確な情報を聞いておく必要があるわけだ。

 ただし患者さんには全てを聞かない自由もある、などという話が出てくるので、なかなかパターン化できない状況が繰り広げられる。治療自体も患者さんごとに選択するように、説明の仕方も患者さんやその家族に合わせる必要があるのだ。しかも段階を追って、理解度を確認しながら行う必要がある。がん診療となると、癌であること、癌の広がりなどの進行度、治療選択肢、治療の仕方、治療によるリスク、どの程度の予後が期待できるかなどを様々な検査結果を示し、絵をかき、文書を示して説明していくわけである。

 これらの説明は、かなり時間を要するものであるが、ここをないがしろにしては患者さんが治療選択などできないし、あとになって患者医療者間に行き違いが出てしまうことになるので、しっかりと行うこととなる。

 今の政治家に、この状況を一度でも見てもらいたいものである。政治家は人気商売という側面だけではないのである。国民が聞いていやだなと思うような情報でも、きちっと説明しなければ、国民には判断材料がないことになる。こんなことを言えば国民がパニックになるなどという理由で、あるいは自分たちに不都合という理由で、語られない事実があまりにも多いのではないだろうか。事実を、順序だててきちっと伝える、問題があればその問題に対してどのような方策が考えられるかを示す、そのうえでどの方策を選ぶかを理由とともに話す。それらをきちっと語られれば、国民もそれぞれ判断ができるというものだ。そのうえで支持されるかどうかは国民が判断をする。それが国民に信を問うというものだろう。

 ”Transparency”。台湾の政治が語られるとき、この単語が良く出てくる。日本の政治にも、「透明性」をきちっと確保してほしいと思う。

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