75年が経つということ
長崎の夏は、8月9日の原爆が投下された日が大きな節目としてあるので、今日の終戦記念日はどちらかというと、爆竹がにぎやかなお盆の精霊流しに押されがちかもしれません。
でも、もうこれからは空襲や爆撃に怯えながら暮らさなくてもいいんだ…当時、そう思った方もきっと多かっことでしょう。
自分や大切な人が、いつ爆撃されるかわからない。今日も明日も明後日も、食べるものがない…そんな毎日がいったいどんなものなのか、どんなに想像してみても、きっと戦時中の方々の気持ちには到底及ばないのだろうと思います。
今日は外出の途中で、山王神社へ立ち寄ってみました。
ここは爆心地から800メートルと近く、爆風で鳥居の半分が吹き飛ばされてしまった場所です。
今でも「一本柱鳥居」として、そのまま保存されています。崩れたほうの半分も、側に残されています。
そして境内の手前には、同じく被爆したクスノキがあります。
当時は原爆の熱線で幹の1/3以上が失われて、葉も落ちてしまい、もうすっかり焼けてしまったかと思われていたそうです。
しかし、2年ほどで奇跡的に新芽を吹き返し、懸命な治療もあり、今では大きな傷痕を残しながらも、視界いっぱいに広がるほどの大木に成長しています。
本殿の中なので撮影は控えましたが、左側には原爆の惨状を描いた大きな絵が、左にはこれも大きな般若心経を書いた屏風のようなものが置かれています。
長崎はもともと神社・お寺・教会が融け合っているような風情のある街ですが、神社の本殿に般若心経というのはかなり珍しいかもしれません。
平和を願う、宗教を超えた懐の深さが感じられますね。
参拝される機会がありましたら、ぜひご覧になってみてください。
広島、長崎に限らず、たくさんの町で、たくさんの人が傷つき、大切な人を亡くした戦争から75年。
戦争や被爆の体験を、当時の記憶がある方から直接聞けなくなる日も、そう遠いことではなくなってきました。
わたしが中学生くらいまで(いま40代なので、25年くらい前ですね)は、ご自身が被爆されたという先生がまだ現役で教壇に立たれていて、折に触れてお話を聞いていましたが…いま思えば本当に貴重な世代でした。
平和活動としてなにか直接的な活動ができないとしても、活動している方をSNSで応援したり、関連したニュースに意識を向けてみたり、映画やドラマを観てみたり。
ほんの少しかもしれないけれど、でもそういう小さな積み重ねが大切なのだろうと思います。
noteをはじめたとたん、ちょうど終戦記念日でつい真剣な話題になってしまいました(汗)
これからきっと、なんでもない話題も放り込んでいくと思うので、懲りずにお付き合いいただけたら嬉しいです。
かつては長崎の神学校や修道院で受け継がれてきた、手編みのロザリオ「長崎編み」。伝統を受け継いでいけるよう、ひと目ひと目、祈りを込めて編み続けたいと思います。