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受難の主日*使徒パウロのフィリピの教会への手紙

イエス・キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。

人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

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使徒パウロのフィリピの教会への手紙 2.6-9
受難の主日(枝の主日) 第2朗読
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だれかのために何かしようとするときや、お祈りするとき、ほんとうに心を同じところに置けているのか、寄り添えているのか、ふと考えるときがあります。

大変そうだから、かわいそうだから、ではなくて、イエス様の愛に倣ってその苦しみを一緒に味わい、ともに背負うことができますように。

おかげさまで、手話ミサも無事に終えることができました。

受難の朗読は実際の朗読に合わせて、4人の通訳者で分担して、寸劇のように手話を行うはじめての試みも。

そして「手話をできるようになりたい」と、何ヶ月もかけて練習してくださった新米神父様も、ついに手話通訳デビューの日を迎えました。

ミサのあと、ろう者のみなさんと「とてもわかりやすかったよ!」「神父様ありがとう!」と喜びを分かち合えた一日でした(*´꒳`*)

かつては長崎の神学校や修道院で受け継がれてきた、手編みのロザリオ「長崎編み」。伝統を受け継いでいけるよう、ひと目ひと目、祈りを込めて編み続けたいと思います。