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「定評」のある「間違いない」古着を選んでる自分よ


かっこいいなと思う人

その人は
世間の目を気にせず(気にしてはいるのかもしれないけど)自分がいいと思った服を素直に、ただ、買って、着る
ということをしている
(ちょーーー簡単な言葉で言うとなんか弱くてムズムズするね)


それだけなのに

憧れる。羨ましい。(なりたい☺️)


私も、昔はそうだったのにその機会が減ってしまっていると感じた

昔のインスタの投稿を見てて、高校、大学生の頃は
お金もないし(え 今もだよ)1着1着すごい悩んで購入して、でも自分の感性を信じて疑ってない(知識もないから尚更)のを思い出した

自分の感性が100パー正しいと信じて疑っていなかった。

※おかげですごいバカにされましたし
今見てもゾッとするコーディネート、が出来上がっております。

特にこの写真、さっきママから送られてきてびっくりした。笑


まぁそれは一旦多めに見てもらって欲しいんですけど、
 

良いと思ったら流行りとか関係なく着られるのが許されている気がするのが古着のいいところなのに

古着業界で流行っている(さらに言えば古着好きは拗らせてる人が多いから
“流行っている”とは言っても古着初心者にはわからないようなところで流行っている、少し先取りかなくらいのところをいくかも)
アイテムを自然と選んでしまっている気がする。

「間違いないよね、定評あるよね」の中で自分が1番心動くところをいってしまっているな、、悲しきかな

しょーーもない
とは言わないけど

ものたりたい

昔の方がおもろかった

私の傾向として
レギュラー古着は飽きると気づいて(というより時期によるブームがある)

どうせ飽きるなら飽きないビンテージ様を買おっ
という発想で、せっかくいいと思ったレギュラーアイテムを買わなくなってしまっていることに気づいてちょっと寂しい

レギュラー、自分のいいと思ったまだ誰も見ぬ魅力を秘めたレギュラーこそがかっこいいのになって

憧れの人のインスタを見てて思いました。

なんか26になったり、気になる人がいたり

女性として素敵な着こなしばかり考えてしまっている気がする

そーゆう素敵さも勿論大切なんだけど

ちょっと変なもの行こうとする(「定評」という言葉から遠いアイテム)ようにちょっと意識してみます。

そういう人が素敵だなと改めて思う
でもちゃんと“良いモノ”を知っている人でいたい。

自分の感性を信じて疑わないことを今年は頑張ろうかな、意識して【定評】を切り離したチョイスをしたいかな


人と出会うことで、自分がどう感じるかに敏感に生きていけば、
自ずと自分の像がくっきりしてくるのかなと思うし、
既にそれが楽しい

ピースピース!!!!!!

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