沈黙美
美術館に行く道中電車に揺られながら
言葉に表現したくて仕方がなかった
ミロのヴィーナスはなぜ美しいのか。
失われた両腕はどんな姿をしていたのだろうか、もし両腕があったとしたらミロのヴィーナスはどれほど美しいのだろうか
高校生の現代文で学習した清岡卓行の「失われた両腕 ミロのヴィーナス」で幾度となく考えたが、当時は先生の解説を受けてもわからなかった
しかしながら、こうして今でも考えるほどに印象に残り、年齢を重ねるとともに噛み砕けるようになった内容である
当時の授業、解説内容は忘れ筆者の本意と異なるかもしれないので先に断りを入れておく
どれほど私が手や腕の形やポーズを想像したとしてもミロのヴィーナスは真実を教えてくれない
真実がわからないことを想像するのはとても刺激的である
何を想像してもいい
どれも正解で、どれも不正解
もどかしい。
だからこそ美しい
私の生きている現状やSNSを交えて書きたかったが、どうしてもうまく文章にまとまらず、1週間がたってしまった
再び奥底にしまい込んでしまう前に出してしまおうと思って
すこしずるをしている
見えないことを想像する
言葉も一緒で
私の紡いだ言葉の本意は私にしかわからない
受け取り方は受け手次第
だからこそ、感覚を刺激して補わなければいけないことがたくさんある
でも、補う過程を相手に委ねることにより
言葉は輝く時がある。
沈黙は美しい。
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