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30歳独身OL、66歳の実母と暮らすってよ


母があの家を飛び出したのは、2023年9月のことだ。

同年8月に肺がんの手術の付き添いで、約5年ぶりに
実家に帰ったときに実兄(実家暮らし、寅年)と母の関係性が異様なもので【状況説明が長すぎるので割愛】、あまりにも健やかな環境だとは思えなかったので、「ここからすぐに出る準備をして」と私は言った。
しかし、母はすぐに首を縦に振らなかったし、いくら周囲の人や、市役所の福祉課の人を巻き込んで話し合いを重ねても、兄だけを古い実家に残して自分ひとりが徳島から遠く離れた関東へ移住するというには中々決心がつかなかったらしい。生まれてから66年、今まで一度も徳島以外の土地で住居を構えたことがないのである。致し方ない。
しかし、そんな母の心を動かしたのは、今まで大切に育ててきた兄の何気ない一言だった。

「一日中、家で好きなだけ遊んどってええ身分じゃな」

退院してから僅か1ヶ月、傷病休暇をとって仕事を休んでいた母は、痛む身体に鞭を打ちながら洗濯や炊事全般をこなしていた。
そんな母に対して、仕事に行きたくないと駄々をこねていた兄が出かけに吐き捨てた台詞らしい。
温厚な母の堪忍袋の緒が、ぷつんと切れた瞬間だった。

「もう、一分、一秒、たりとも、この家に、おりたくない」


9月某日、職場で研究会の準備中に電話を取ると、母は嗚咽を漏らしながら途切れ途切れの単語でそう言った。
三〇年以上過ごした家と離れること、また、母が何より大切に育ててきた兄と距離を取ることを決めたのは相当に勇気がいることだったと思う。
兄の名誉のために伝えておくが、母を傷付けようとしてあんな乱暴な言葉を使ったわけではない。
ただ、本当に自分が仕事に行きたくない。働くことがつらいという甘えた気持ちから出たの言葉なのである。(こんな甘えたれに育てたのは他ならぬ母自身だけれども)
ハンディキャップを持っている兄は、小学校5~6年程度の知能しかなく、人とコミュニケーションをとるのが不得手でよくトラブルを起こす。そして、外で感じたストレスの発散する術が自分の家族であり、一番の理解者である母に強い言葉をぶつけることだった。
同様に、兄が傷付くことを恐れ、過剰に兄を手厚く保護し、社会性を得る権利を奪ってしまったのも他ならぬ母自身である。
しかし、考えなしに誰かのサポートが必要な兄を一人放置して、着の身着のまま家を去ったわけではない。
後見人や福祉の力、花太郎さん(私の実父)の力を借りて、兄がきちんと生活を営めるように環境を整える準備はしていたのだ。

では、今の暮らしはどうですか?

胸を張って、母をこの家に呼び寄せて良かったと言えます!!
幼い頃にはなかった母娘二人の時間がとれて、毎週二人で東京や千葉、神奈川の名所を巡っているのでとっても幸せです。

・・・・そないなこと、あるかい。

そして私は、真の軽薄というのは、責任を負いきれないものに対する安易な情なんだと気づいた。

島本理生「君が降る日」

この言葉を大学生の頃から知っていたはずの私に、改めて贈りたい。
その場の雰囲気に流された相手への情や、子どもから見た親への責任という不確かなものだけで、同居を決めるべきではなかったと後悔する日もないわけじゃない。
(大げさではなく)3日に1度は喧嘩をするくらいのストレスフルスロットルな毎日を送っているので、キックボクシングの道場に行く回数も週3に増えようとしている。
……それでもやっぱり、安心して熟睡している母の地鳴りのようないびきを聞いたり、自分が病で臥せっているときに看病して貰った思い出などを反芻すると、強く言えなくもなるのである。







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