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文系のフーコー、理系のフーコー

世の中には4種類の人間がいる。

社会学者のミシェル・フーコーを知っている人。
物理学者のレオン・フーコーを知っている人。
どちらも知っている人。
そして、どちらも知らない人だ。

『監獄の誕生』

文学部社会学研究室出身の私はもちろん、社会学者のフーコーを知っている人だった。

ミシェル・フーコーはパノプティコンという円形の監獄を用い、「自己」は社会的に形成されるということを示した。

パノプティコンの内部にはドーナツのような形に仕切られた独房が並んでおり、円の中央にあたる部分には監視塔がある。監視塔からは独房が丸見えだが、囚人のいる独房からは監視塔の内部を見ることができなくなっている。
つまり、囚人たちは、見られているかはわからないが、常に見られている可能性がある状態に置かれている。
そのことにより、囚人たちは次第に監視塔からのまなざしを内面化し、自分で自分を監視するようになっていくらしい。


フーコーの振り子

ある日、彼(理学部物学科卒業)は私に言った。

「フーコーの振り子見に行こうよ。」

私は思わずこう言った。

「いや、フーコーは監獄の誕生でしょ。
振り子?何言ってんの。
それほんとにフーコーなの?」

しかし彼も引かない。

「いや、フーコーの振り子知らないの?」

「そっちこそ、パノプティコン知らないの?」

話が永遠に平行線だったので、グーグル先生に聞いてみた。

レオン・フーコーはフーコーの振り子の実験により、地球の自転を証明した人らしい。こっちのフーコーさんの方が有名かもしれない。


結果、どっちも嘘はついてなかったことがわかったので、私たちは上野の国立科学博物館にフーコーの振り子を見に行った。


歯が丈夫な人、視力がいい人

世の中には人がいっぱいいるけど、
どっちのフーコーを知っているか(あるいは、知らないか)、
節分の豆まきは大豆派か落花生派か、
ショルダーバッグは右肩にかけるか左肩にかけるか、
そういうことが数えきれないくらい積み重なって、みんな全然違う人間ができている。

小さいころ、神様はこんなに一人ひとり違う人間を作るなんて大変なことをしたなあ、と思っていた。


先日、「親知らずを抜くために隣接した虫歯治療もしなきゃいけない」と知人がこぼしていた。歯が丈夫な私にとっては想像できないくらい大変なもので心から気の毒に思った。

私の体の中で一番きれいなパーツは歯だと自負している。
そのくらいに私の歯並びは整っているし、親知らずもかみ合わせが問題ないほどきれいに生えているらしい。(4本全部生えてる)
ついでに言うと虫歯もできにくい。(ちょっとラッキー)

でもいっぽうで、私は小さい頃からめちゃくちゃ視力が弱い。
よく考えてみたら、そのつらさは虫歯があっても視力がいいあの人にはきっとわからないだろう。
コンタクトも眼鏡もないと視力検査の一番上の大きいマークも見えないような視界は不便極まりない。それも慣れてしまったから、不便だけど受け入れている。

案外あの人の虫歯もそんなものなのかもって。

というか、人間みんなそうなのかも。


人種とか、障がいのあるなしとか、はっきり分かれているように錯覚してしまうけど、重なっているところと、違っているところがあって、無数の組み合わせで一人ひとりができている。

フーコーからすごい飛躍したけど、あなたはどっちのフーコー派ですか?

それとも、別のフーコーさんでしょうか?

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