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noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」に関するお詫び


【追記】本コンテストは無事に終了いたしました。結果発表は以下のnoteで御覧いただけます。





自主開催noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」を開催したコンテスト責任者の藤原です。

コンテストに関わってくださった皆さんにお詫びを伝えたく筆をとりました。



まず、このお詫びからお伝えいたします。

「審査基準を伝えきる責任」を果たせなかったこと

noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」では、

「こういう作品だけが中間選考を通過するよ」

と、コンテストの審査基準を公開しています。審査基準はコンテストの参考作品である私が書いた以下のnoteに記載されています。

このnoteに対して、読んだ方からこのようなメッセージをいただきました。

「つまらない」
「だから、何?」
「知らんがな」
「読むのを途中でやめました」

この感想自体は、全然良いんですよ(笑)

なぜならそこは、私がコントロールできる領域ではないからです。
私が「コントロールしていい領域ではない」からだと思っているんです。

どう思うかはもちろん、読んでくださった方の自由。

「読むのを途中でやめました」というご感想だったとしても、「この方は、私の文章を読んでこう思ったんだな」で終わる話なんですね。


ただし、問題が一つありました。

この参考作品「自分の文章に自信がなくて吐きそう」という作品の一番「最後」にコンテストの審査基準が書いてあったんです。審査基準はこのように記載しました。本文より抜粋します。

▼中間選考の審査基準についてのアナウンス

クリックすらされなかった作品は、すべて落ちます。

▼最終選考についてのアナウンス

このコンテストでは、もちろん私が審査員を務めます。
つまり、「私に向かって」作品を書くということになるんです。

※これらの審査基準を「なぜ設けたのか」は先ほどの参考作品の中に書いてあるため今は触れません。


審査基準の記載はしましたが、私はここで重要なミスを犯しました。

これらの審査基準は、あの参考作品「自分の文章に自信がなくて吐きそう」の「最後に」書くべきではなかったんです。

なぜならば、「審査基準を公開する」という非常に珍しいコンテストを開催する以上、その審査基準は参加してくれる方全員に伝えなければならないことだからです。


私は過去の自分のnoteで何度も書いています。

「伝えたいことがあるなら、伝えきるまでが書き手の責任だ」と。


その責任を私は果たすことができなかった。他にもやり方があったはずなのです。たとえば、コンテスト概要欄の方にもきちんと太文字で書くとか。あるいは参考作品として書いた自分のnoteの「冒頭に」書くとか。


結果として

「クリックすらしないなんて審査員としてどうなのか」
「noteは自由に書いて良いもの。藤原さん一人に向かって作品を書くなんておかしい」

というお怒りのお声をいただきました。

これは、「クリックすらされなかった作品は、すべて落ちます」「コンテストでは私に一人に向かって書いてほしい」というこれらの審査基準を伝えきることができなかった私の責任です。


私が審査基準を伝えきることができなかったばかりに、中間選考の結果発表で「クリックすらされなかった可能性がある」ということを知った方のショックと怒りは計り知れません。

こういった怒りの感情は、誰だって抱きたくないものです。誰だって穏やかな気持ちでいたい、幸せな気持ちでいたい、安らかな気持ちでいたい。

でも、私は審査基準を伝えきるという責任を果たせなかったがゆえに、審査基準を伝えることができなかった方々にこういった怒りの感情を抱かせてしまったんです。

その日、その方は一日穏やかに過ごすことができたかもしれないのに。健やかに、気分良く幸せに過ごすことができたかもしれないのに。私はそれを奪ったんです。


審査基準を公開したのに、その審査基準を伝えきるという責任を果たせなかった。この責任は、重く受け止めています。おひとりおひとりに、すでに個別にご返信をしています。

まず、こういったお怒りの感情を抱かせてしまったことへのお詫び。審査基準を伝えることができなかった原因をお伝えし、その責任がすべて私にあるということ。そして最後に再度、お怒りの感情を抱かせてしまったことへのお詫びをお伝えし、個別にご返信をしています。


責任者として、これは必ずご返信いたします。

そのため、クリエイターのお問い合わせフォームでお問い合わせとして文章を送っていただければ、必ず、ご返信します。日中は仕事をしているためご返信には少し時間がかかるかもしれませんが、ちゃんと一人ひとり、向き合います。

※なお、クリエイターへのお問い合わせ方法はnote公式のページでやり方が解説されておりますのでこちらをご参照ください。



「審査員はたとえどんな作品が応募されてきても、傷つく資格がない」ということ

また、二つ目にお詫びしたい点は「審査員は、傷つく資格がない」ということです。

私は12年間編集者をやってきたのでWeb媒体でさまざまなコンテスト開催に携わってきました。ですが、コンテストを開催する責任というのは本当に本当に重たいものなのです。


たとえば、フォトコンテスト。

何でもいいんですけどたとえば「感動した日の出の写真コンテスト」というコンテストがあったとします。どの媒体でもそうですが、こういったフォトコンテストは必ず「コンテスト開催担当者」が一度目視でどんな写真かを確認してから、誰もが閲覧できる「応募作品一覧」のページに載るんですね。


なぜ、一度コンテスト開催担当者が目視で確認をするのか?

それは、目視で確認をしなかったら、たとえば嫌がらせ目的でショッキングな写真が応募されてきた場合、誰もがすぐに閲覧できてしまうからです。

「どんな作品が応募されているのかな~」とわくわくしながら見に来てくれた読者全員に見られてしまうからです。ショッキングな写真とは、たとえば公然わ〇せつに当たってしまうようなそういった写真です。

コンテストの開催責任者は、そういったショッキングな写真を見なければいけない可能性も理解した上で、コンテストを開催します。

「作品が応募されてきました」という通知が審査担当者に来て、その通知を開いた結果ショッキングな写真が届いている可能性を理解し、それを受け止める覚悟を持って応募作品を開くんです。その覚悟がないと、コンテストの責任者は務めてはいけないんです。

もちろん、私も新人のころはショッキングな写真が送られてきてその午後に仕事ができず早退したこともありました。でもこれは、私が「コンテストの責任者はそういう覚悟で臨まないといけない」という大切なことを理解していなかったからです。

覚悟が、足りなかったんです。背負っている責任の重さを、理解していなかったんです。


だから、コンテストを開催すると決断した私には、傷つく資格がないんです。

審査員である私は、審査を引き受けると決めた以上、傷つく資格はない。

私はそう思っているんです。


まさに今回もその覚悟でコンテストを開催しました。今回の私のコンテストのテーマは、「なぜ書くのか」。こういったテーマである以上センシティブなテーマで応募されてくる作品があることは理解していました。

もちろん、それは中間選考の審査員を担当したマネージャーにも伝えました。

「なぜ書くのかという重たいテーマだからこそ、センシティブな応募作品も絶対に来るよ」と。

「そういった作品を読む覚悟がないと、審査員を務めることができないよ」と。

「だから、無理だと思ったら断ってくれても大丈夫だよ」と。



ただ、これは依頼したこと自体が明らかに間違いでした。

マネージャーは私のように何度もコンテストを開催した経験がありません。だから、コンテストの審査員がどれほど大きな責任を背負うことになるのか、私はもっともっと伝えるべきでした。もっと伝えていれば、マネージャーが審査員を務めることは避けられたんです。マネージャーが深く傷つく可能性があるとわかっていたのに、それを避けることができなかったんです。


中間選考を設けずに、私が最初から審査員を務めるべきだった。
間違いなく、そうすべきだったんです。


コンテストの審査員である私は、コンテストを開催した以上「どんな作品が来ても傷つく資格がない」と私は思うんです。

ましてや今回のように「なぜ、書くのか」というテーマである以上、センシティブなテーマで応募されてくることはわかりきっていたことです。


コンテストの審査員は、応募されてきた作品を読む必要があります。なぜなあらば、審査員だからです。応募されてきた作品を読むと決断する責任は、審査員である自分にあるのです。

そして、「読むと決断した責任」を審査員は引き受けなければならない。

結果、とても傷つく内容だったとしても。読むと決断したのは自分。だからその決断をした自分に責任がある。その責任は負わねばならない。だから傷つく資格は私にはない。私はそう思うんです。


だから、その覚悟がある私自身が最初から審査員を務めるべきだった。
中間選考を設けずに、最初から私自身が他の普通のコンテストのように「これが受賞作品です」と受賞したものだけを紹介する。そのようにすべきだった。


しかし、結果としてマネージャーに中間選考の審査員を引き受けさせてしまった。そして、引き受けてもらった結果、とても傷つけてしまった。

もちろん、マネージャーが「傷ついた」と思った作品が前述した例えの中にあるような「ショッキングな写真」という意味ではもちろんありませんよ。たまたま、マネージャーにとっては傷ついてしまう作品だったという、そういう意味です。


そして、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』という先日公開したnoteの中に、マネージャーの「私は傷つきました」という言葉を掲載することを、私は許可してしまいました。

これは絶対にするべきではなかった。

審査員には傷つく資格がないと思っているからです。ましてや、「傷ついた」などと応募してきてくださった方には絶対に伝えてはいけない。

こう書いてしまったこと、そしてその結果多くの方に不快で悲しくお怒りの気持ちを抱かせたこと、とても深く深く深く傷つけたこと、心よりお詫び申し上げます。本当に、本当に、本当に、申し訳ありませんでした。

また、「傷ついた」などと書いてしまったことで複数の応募者の方から「もしかして私が審査員の方を傷つけたのでは」「もしそうであれば、心からお詫びいたします」という旨のDMをいただきました。

そんなご心配を応募者の皆さんにおかけしてしまったこと、そしてわざわざ命ともいえる時間を使って私にDMを送ってくださったこと、そのこと自体もあってはならなかったことです。本当に、申し訳ございませんでした。


※あの「落とした理由」のnoteからは「傷つきました」という箇所を削除しました。なぜならばこれは伝えてはいけないことだったからです。そして「今から」新しくあのnoteを読む人をひどく傷つける可能性があるからです。そのことだけは絶対に避けたい。その理由から、「傷つきました」という箇所を削除しました。

コンテストを開催する以上、審査員に傷つく資格はないと私は強く思ったからです。ましてや「傷つきました」と伝えるべきではないと強く思ったからです。そのため、削除することを決断いたしました。

もちろん、削除したからといってすでに「伝わってしまった」という事実は消せません。「伝えるべきでないことを、伝えなかったことにする」という意味で削除したわけではない点だけ、誤解のないようにいただけたら幸いでございます。

「今から」読む方には、「傷ついた」なんて絶対に伝えてはいけない。そのため、削除することを決断いたしました。



「こういう方は読まないでください」と注意書きをしなかったこと

そして私が今回開催したコンテストで、こんな応募作品がありました。その作品には、こう書かれていました。

文章の良いところは「読みたくなければ途中で読むのをやめることができる」こと。

と。私は、この文章に深く共感しました。まさに、その通りだと。



ただし、今回の場合、責任者である私はこの点に甘えては絶対にいけませんでした。「あなたを落とした理由」というnote、「知ることができて良かった」という多くのコメントもいただいましたが、「落ち込んでしまった」という方もコメント欄にいらっしゃいました。

だから私は責任者として、ちゃんと「最初から」冒頭にこう追記すべきだったのです(以下はすでに追記した文章です)。

※本noteは、今まさに自分の文章が読まれずに苦しんでいる方が読んでしまうとさらに辛い思いをするかと思います。そのため、今苦しんでいる最中にいる方は絶対に読まないよう、どうぞよろしくお願いします。

※また、本noteは、「コンテストで絶対に受賞したいと思って応募した」という方と、その上で「なぜ落選したのかを絶対に知りたい」という方にのみ向けて書いたnoteです。「なぜ落選したのかを知りたい」という方以外はここでブラウザバックしていただけたらと思います。

「伝えたい人」以外に伝わってしまう。するとその人を傷つけてしまうかもしれない。だから、「落選した理由を知りたい」という方以外はここで閉じていただけたらなと思います。

これは「落ち込んでしまった」というコメントを頂いた「後に」追記したものです。

落ち込んでしまったとコメントを下さった方へはその後DMで「冒頭にちゃんと『こういう方は読まないで』と注意書きをしなかった旨のお詫び」をお伝えし、そしてその結果「この落ち込むことは、物書きとして成長するために必要なことだから、全然大丈夫ですよ!」という旨の丁寧なご返信をいただいたのですが、私は全員がそういった捉え方をするとは絶対に限らないと思うんです。


文章は確かに、読まないという選択を自分でとることができます。

でも、落とした理由なんて、気になるに決まっている。知りたいに決まっている。だからつい読んでしまう。だから私は責任者として「こういった方は読まないでください」と、最初から書くべきだったのです。

読まなくて済んだはずの文章を、「読むことを強要してしまった」。こんな攻撃的なことを私はしてしまったんです。

そのことで、大変不快な思いをさせたこと、大変深く傷つけたこと、最悪の気分で一日を過ごさせてしまったかもしれないこと、もう書きたくないとまで思わせてしまったかもしれないこと。コンテストの責任者として心よりお詫び申し上げます。本当に、本当に、本当に、申し訳ございませんでした。


「この」コンテストで「この」審査員が落とした理由であるということを伝えきれなかったこと

それから、最後に。とても大切なことをお詫び申し上げます。

つい昨日、MitakaDaiさんという作家さんがとあるnoteを書いてくださいました。

タイトルは、「【noteコンテスト】創作とは制約の中で理想を貫くことである」です。

まず、この作品の中でDaiさんは「私のこと」をこう記していらっしゃいました。

(藤原さんは)note文芸界のカリスマ的存在であると言っても過言ではないだろう。

カッコ内は私の補足です

note文芸界のカリスマ的存在である藤原華さんの言葉は、そのファンにとっては大げさに言えば神の言葉にも近しい。

(藤原さんは)note界隈では、向かうところ敵なしのクリエイターの1人である。

カッコ内は私の補足です


正直、非常に衝撃的な言葉でした。

カリスマ、神、敵なしのクリエイター。

この言葉にとてもショックを受けたのです。


私は普段、仕事柄多くの物書きとお会いします。エッセイスト、小説家、漫画家、コラムニスト。

どの方もフォロワーが何十万といて、noteなんて掲載しようものならイイネが4ケタいくのも一瞬なんです。

私はフォロワーが何十万人もいるようなインフルエンサーではもちろん、ない。noteは(もちろん本気で魂を込めて書いていますが)、週末の空いた時間に気軽に「伝えたいと思うことを書いているだけ」のnoterなんです。皆さんとなんら変わらないnoterなんです。

この間書いた、期間限定公開の片付けのnoteなんて、いいねが2ケタで終わりました。2ケタで終わることって皆さんも普段多く経験されてると思います。私も、いいねが2ケタで終わることが普通にあるnoterなんです。



私は、確かに創作大賞で賞をいただいたことがあります。これは確かに実績なのですが、私はたとえば去年の創作大賞の受賞者の方々のお名前を全員挙げることができません。

また、私は確かに自分のnoteが書籍化されました。本当に、とてもうれしいことです。しかし、私と同じように「自分のnoteが書籍化された人」のお名前を、私は一人二人程度しか挙げられません。



つまり、私は創作大賞で受賞した方やnoteが書籍化した方のことを「カリスマ、神、敵なしのクリエイター」とは思っていないんです。

もちろん、創作大賞の受賞者の方や書籍化の夢を叶えた方の作品で、「好きだなぁ」と思う作品は読みました。とても楽しく読ませていただいたんです。

でも、その人たちのことを「カリスマ、神、敵なしのクリエイター」とは全く考えたことがなかったんです。「この人の作品、とっても好きだな」。そう思っただけで「カリスマ、神、敵なしのクリエイター」とは思わなかったんです。


もし私が本当に「カリスマ、神、敵なしのクリエイター」と(全員ではないにせよ)他の方たちから万が一にも思われているのだとしたら。

私が掲載を許可したあの「コンテストであなたを落とした理由」は唯一絶対の真実として受け取られてしまうのではないか。そして実際、そう受け取られてしまっているのではないか。そしてもしそう受け取られているのならば、尋常ではないほど深く傷つけてしまったことになる。そう感じました。


私が今まで書いてきたnoteは、どの作品もあくまで「私はこう思うんだ」という一意見に過ぎない。そのつもりで書いてきました。

今まさに読んでいただいているこの文章もそうです。たとえばさっき「審査員である私に傷つく資格はない」と書きましたが、その後ちゃんと「私はそう思うんです」と書いているんです。

それは、「私が言っていることが世界で唯一の真実だ」とは私自身が思っていないし、そう受け取ってほしくない。そんな思いからあくまで「一意見だ」ということを伝えたくて「私はそう思うんです」と書いているんです。


先ほどご紹介したnoteの作者Daiさんは、続けてこう書いてくださっていました。このような図をまず作ってくださってました。審査基準Aは、今回私が開催したコンテストの審査基準のことです。


Daiさんのnoteより引用

この図を記載した上で、Daiさんはこう書いてくださいました。

「応募作品」と「基準A」(つまり私が今回コンテストで設けた審査基準)の2つの集合が重なった領域が合格圏で、ここでは①②③の3作品が中間選考を「突破した作品」となった。

他方、重なっていない領域に存在する④から⑩の7作品は、残念ながら「落選作品」となってしまった。

カッコ内は私の補足です

そして、こう続けてくださっています。

もし、「基準A」(つまり私が今回コンテストで設けた審査基準)に納得できなかった場合はどうするべきであろうか?

それでも、自分の信念を曲げて「基準A」(私のコンテストの基準)に従うべきか?
それとも、いっそのこと筆を折ってしまうのか?

いや、そんな必要はない!!

「基準A」に納得できなかったら、違うコンテストにチャレンジし、その審査基準である「基準B」に合わせればいいのだ。

下図で示すように、④⑤⑥の作品は「基準A」とは重なりを持たないが、「基準B」とは重なりを持っている。

基準は1つではないのだ!

カッコ内は私の補足です
Daiさんのnoteからの引用

その上で、こう書いてくださいました。

記事に書かれていたのは、『「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由』なのだ!

上図で言えば、「基準A」は絶対の基準ではないことを藤原華さんも強調しているのだ。


Daiさんが書いてくださったこの言葉は、コンテストの責任者である私が最初から書くべきだったんです。「読んでくださる方に伝えるのが当たり前なこと」で「読んでくださる方にとってとても大切なこと」を、私が伝えるべきだったんです。

Daiさんの貴重な時間を奪って、こんな当たり前のことをDaiさんに書いていただくこと自体が、間違いなんです。私が、コンテスト開催者としての責任を果たさなかった証拠なんです。


あのnoteのタイトルは『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』でした。これは掲載時もこのタイトルでしたし、今も修正することなくこのタイトルのままです。

なぜこのタイトルにしたのか?

それは、「このタイトルがつけられたnoteで伝えたかったこと」が、Daiさんがまさに書いてくださった

「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由』

だったからです。

だから、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』というタイトルで掲載しようとマネージャーと二人で決断し、そして掲載の許可を私が出しました。


しかし、もっともっともっと強調すべきでした。

なぜなら『「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由』は、最も伝えなければいけないことだからです。

だから「伝えきる」責任を果たさなければいけなかった。しかし、結局のところその責任は果たすことができなかった。つまり、「自由に気楽に楽しく書いていいはずのnoteという場所で、『こうあるべき!』と受け取られてしまう言葉を、読んでくださった方に押し付けてしまったのです。


だから、この文章を追記しました(これはマネージャーからちゃんと掲載の許可を取った上で、私が責任者として書いた文章です)。

そして最後にとても大切なことを。本noteで書いたことはすべて「コンテストに応募する文章の場合は」という前提が入ります。「すべてのnoteがこうあらねばならない」ということは、決してありません。

あくまで「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由を記載しているという点をご理解いただけますと大変うれしいです。

noteは本当に自由な場所です。

のんびり文章を書いて楽しんだり、思考を整理したり、それこそ自分の気持ちを書き出して心を救ったり。そういうことができる場所です。

だから、「すべてのnoteがこうあるべき」ということを伝えているわけでは決してありません。あくまで、「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由を記載しているという、ただそれだけのことなのです。

その点、事前にきちんとお伝えしておかねばと思いここに記載いたします。

これを、「最初から」丁寧に丁寧に書くべきでした。それが私の果たすべき責任でした。



『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』

というタイトルだったとしても。つまり、

『「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由』

を解説するテーマのnoteだったとしても。



クリックした後に本文を読み進めていくと「noteとはこう書くべきである」と絶対に読み手に誤解を与えてしまう書き方の文章がありました。だからこそ、きちんと丁寧に、このnoteで書かれていることはあくまで

『「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由』

でしかないという点を、もうパラグラフが終わるごとに記載するレベルで、何度も何度も何度もきちんと誠実に伝えるべきだったのです。


このことをきちんと書かなかったことの責任は本当に大きいです。そのことを私は深く理解しました。

読んでしまった方に「もう書きたくない」という思いや「noteはもっと自由に書いていいはずだ」という怒りといった、さまざまな不快でネガティブな感情を抱かせてしまったこと。本当に不快な思いをさせてしまいました。このことを心よりお詫び申し上げます。本当に、本当に、本当に、申し訳ございませんでした。


そして、Daiさんは最後にこう綴っていらっしゃいます。

「コンテストで記事を書くからには、そのコンテストの審査基準に合わせて記事を書く必要がある」

藤原華さんが本当に伝えたかったのは、この単純にして極めて重要な事実だったような気がしてきた。

その通りです。

でも、これは私が書くべき文章でした。

Daiさんに時間をつかっていただいて、Daiさんに書いていただくことではないんです。これは私が責任者として書くべき文章だったんです。


そしてDaiさんはご自身のnoteで最後にこうつづっています。

この記事(つまりDaiさんが書かれたnoteのこと)は、noteコンテストに関する個人的な見解を述べたものです。これが絶対的に正しいという主張ではなく、正解はクリエイターの数だけ存在すると考えています。相手の考えを尊重しつつ、自分の信じる道を歩んでいきましょう。

カッコ内は私の補足です

本当に、同感であり、これも私がきちんとあの「落とした理由」というタイトルのnoteで書くべきことでした。


書かなかったことでどれだけの方を傷つけたことか、私にはこの方々と向き合う責任があります。

本文で触れていない点についてももちろんご意見をちゃんとお受けいたします。前述した問い合わせフォームよりご連絡いただければ、少しお時間を頂きますがきちんと一人ひとりと向き合い、(すでに他の方にご返信をしているのと同じように)、必ずご返信をいたします。

※なお、コメント欄に記入しようとすると文字数制限が出ます。文字数の制限があるため、コメント欄に記入をすると本来伝えねばならない言葉を削ることになり、コミュニケーションのすれ違いが起きる危険性があります。そのため、ご意見はお問い合わせフォームにてお送りいただけたら幸いです。

また、コメント欄でやりとりをしてしまうと他のコメントを下さった方にも通知が行くため、「自分に返信がきたのでは」と見に行った結果「自分への返信はまだだった」という混乱が起きることが予想されます。その意味でも、コメント欄ではなく問い合わせフォームにてご意見をいただけたら幸いでございます。


改めて、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』というnoteで多くの方を深く傷つけ、不快にさせ、怒りの感情を抱かせ、そして「書きたくない」「書く資格がない」とまで思わせてしまったこと。これは私にすべての責任があります。心よりお詫び申し上げます。本当に、本当に、本当に、申し訳ございませんでした。



【9月10日追記】

また、二つお詫びを申し上げます。

「落選理由を公表する旨」を、中間選考の発表直前に突然告げたこと。この点も非常に配慮に欠けた行動でした。心から、お詫び申し上げます。

これはコンテストの開催にあたり非常に重要な要件です。事前にきちんと告知していなかったことで、「落選理由が公表されることを知っていたらそもそも応募しなかった」という方がいらっしゃいました。

応募するために費やした、命そのものともいえる時間を奪ったと、そして不快で不安な思いをさせてしまったこと。本当に、本当に申しわけございませんでした。


また、「8月30日に中間選考の結果を発表する」と告げておりましたが、明確に「何時」ときちんと告知をすべきでした。8月30日中に結果発表するとは告げていたものの、何時とは告知をしておらず、結果としてコンテスト開催者側の都合で当日いきなり「お昼には公開できる予定でしたが少し遅らせます」というこちら側の都合を押し通す結果となりました。

応募者の皆さんが不安な思いで結果発表を待っていらっしゃる時に、本当に気づかいのない配慮の欠けた行動であったこと、心よりお詫び申し上げます。

応募者の皆さんだけではありません。コンテストに興味を持って応援してくださった方々、そしてコンテストの賞金としてサポートをしてくださった出資者の皆さまに対するリスペクトが本当に完全に欠けておりました。

本当に、本当に申し訳がございませんでした。



【9月10日追記】

コンテストの最終選考は、きちんと進んでおります。中間選考で多くの方々を不快な思いにさせてしまったこと、お怒りのお気持ちを湧きあがらせてしまったこと、本当に、本当に申し訳ございませんでした。最終の結果発表の場は、配慮とリスペクトの欠けた行動を決してしないと必ずお約束いたします。

最終の結果発表の場は、かかわってくださった方々が「すごく楽しかった」と言っていただけるような発表会場に必ずしてみせます。コンテストを開催した責任者として、その責任は必ず果たします。この点だけは、必ずお約束いたします。何卒、よろしくお願い申し上げます。




noteコンテスト
「なぜ、書くのか」責任者
藤原華より

2024年9月10日



【9月11日追記】
DMやお問い合わせフォームでのメールに順次返信しております。
日中仕事があるため、少しご返信にお時間を頂戴いたしますが必ず返信をするとお約束いたします。お待たせしまって本当に申し訳ございません。


【9月11日追記】
また、DMやお問い合わせフォームの中でご声援や温かいご支援、そして応援のメッセージなども受け取っており、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、ありがとうございます。とても丁寧でたくさんの文章をありがとうございます。すべて読んでおり、おひとりずつこちらもご返信している最中です。皆さん、ありがとうございます。


【9月13日追記】
「応募作品は1人1作品まで」という審査基準を設けていたにもかかわらず、複数の作品を応募してきてしまった方が中間選考で突破してしまいました。

まず、これは「応募作品は1人1作品まで」という審査基準を応募者の皆様に伝えきることができなかった私の責任です。

そして、中間選考を担当した審査員であるマネージャーには「コンテスト基準に違反しているものは読まずに落選させてね」と伝えておりました。しかし、結果としてマネージャーは応募作品がすばらしいあまり、作品を読むのに夢中になり、審査基準に違反しているかのチェックをおろそかにしてしまいました。当然ながら、マネージャーに責任は一切ありません。なぜならば、コンテストの責任者は私だからです。私にすべての責任があります。

ですが、中間選考を突破した作品を今から落選させることはいたしません。
なぜならば、応募してきてくださった方に責任は一切ないからです。

そして、「なぜ、書くのか」というコンテストにおいて「審査基準を満たすこと」が最も重要な、最優先して守らねばならないこと「ではない」と責任者である私が考えているからです。

「なぜ、書くのか」という深く重たく自分自身と向き合うこと。そしてその向き合った結果を文字につむぐこと。そしてその文章が誰かに届いてその誰かの心に残り続けること。そういう、素敵なコンテストにしたいんです。

もちろん「じゃあ私も複数応募していれば、どれか1作品くらい通過していたかもしれないじゃないか」というお怒りを抱く方も絶対にいらっしゃると思います。そのため、きちんと一人ひとりと向き合います。この点についても、お時間はいただきますが必ず、必ず、必ずご返信いたしますので問い合わせフォームよりお送りいただけたらと存じます。

何卒よろしくお願い申し上げます。


【9月13日追記】
「最終選考、順調に進んでいます!」とつぶやきをしたところ、「グランプリはすでに決まっているはずなのにどういうことなのか」「ただいたずらに発表まで引っ張りたいのか」というお声をいただきました。誤解を与える表現をしたことを心よりお詫び申し上げます。最終選考ではグランプリ以外の賞も決める必要があります。そのため、最終選考=グランプリではなく、最終選考=グランプリとそのほかの賞という意味で記載をした次第です。そのため、「最終選考、順調に進んでいます」という言葉はグランプリを決めていますという意味ではなくグランプリとそのほかの賞を決めているという意味でございます。誤解を与えたこと、そして困惑をさせてしまったこと、不安感を与えるような表現をしたこと、本当に、大変申し訳ございませんでした。

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