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海に忘れたゴーグル

29歳を目前にしてやっと生きるのが楽しくなりそうな予感がしてきた。大学を中退する頃は毎日死にたくてたまらなかった。しょっちゅう貧血を起こして保健室に行っていたし、学食を一人で食べながら、ぼんやりと海に置き忘れたゴーグルのこと、拾えずに帰った後悔ばかりを反芻しては罪悪感に苛まれていた。

小さな頃はなんとなく絵を描くと褒められて、なんとなくあんたは美大に行くんだよね、と決められていた。ビダイ、がなんなのかわからないが母が自慢げにそう言っていたし、親戚に絵の賞状を自慢するのに車に持ち込んでいたので、これは大層なことなのかもしれない。よくわからないけどビダイ、はすごいところらしい。多分行く、私もそうとばかりおもっていた。

高校3年生になり私は「美大か音大に行きたい」と言うと、お姉ちゃんが美大に行ったから無理よ、と母に言われてしまった。音大に行こうと言う目論見のため私はこっそりピアノの先生にはソルフェージュを習っていたし、美術や人体の解剖に関するちょっと専門的な本などを読んでいた。国立の芸術大学に行ける希望もなく、なにもかもどうでもよくなり、以降深夜ラジオを聞いては遅刻、早退、不登校。仲のいい同級生は美大に行く、と予備校に通い始めた。私は腐ってコンビニの裏でアイスクリームを食べながら空を見ている。油絵のセットを持ち、デッサンをちょくちょく練習する彼女。とてもまぶしかった。何年も腐ったまま、推薦をやっとこもらい、何年も腐ったまま私はやり過ごした。音大、美大に行ったひとびとの絵が眩しかった。私はアパートでこそこそ絵を描いては破り捨てた。そうして、海に置き忘れたゴーグルのこと、拾えずに帰った後悔ばかりを反芻しては罪悪感に苛まれていた。海にさらわれるように同級生が死んでしまった。私は鎌倉の海へ赴き、男の子の弔いをした。やくざ者。道を外れる。置き忘れたもの、死んでしまった人、会えなくなってしまった人を思い出して、しずかに一人弔いをしていた。それが私の虚空の青春時代であった。

いつしか筆を握れるようになっていた。人のために、を捨てて、自分が楽しいように絵が描ける。ときめきをとじこめる。なんと楽しいのだろう、と気づく。自転車を両手ばなしで漕げるようになった時のように。思い切りブランコからはみ出しそうなほど前へ進んだ時のように。街を歩いては素材を集める。ああ自由というものはこんなに楽しいのか、と怖いくらいに震えた。学はない。下手くそだ。ぶさいくだ。それに絵を描くことは洞穴にいるかのように、ほんとうに孤独だ。それでもクレパスを買うために仕事をした。もっとお金を得た。水彩絵の具を買って、絵の具を画用紙に滑らせて過ごしている。ゴーグルのことはとっくに忘れていた。

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