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横浜ストーリー・序

夏が来るたび思い出す
あなたの海に帰ってきたの
♪太陽は泣いている/いしだあゆみ


曙町に最初に訪れたのはちょうど10年前になる。田舎から越してきたわたしはそんな場所なぞ知らなかったし、情けないほどに世間知らずだ。ましてやピンクな店がこんなにあることも、そこがどんな場所でどう見られていたかなぞということはまったく知るよしもなかった。横浜の人に聞けば伊勢佐木町の奥に行くな、と言われて育つらしいが、まあ、横浜に住んでいる人以外は、特に田舎から出てきた人たちは、あまり知らないのかもしれない。
大学に入りたての頃だった。バイトがうまくいかず、金がなくなっていった。金の工面はできない、精神科に通っている、両親にも頼めず、たいへん困っているところだった。町田でキャバクラのティッシュを渡されて、電話して面接の約束を取りつける。指定された駅はなぜか横浜の阪東橋。当時は相模原に住んでいた。横浜線から乗り換えてブルーラインに乗り、阪東橋駅でおりる。むかしの歌謡曲で伊勢佐木町ブルース、ブルーライトヨコハマ、追いかけてヨコハマという横浜をテーマにした歌は数多くあれど、最近のみなとみらいやカフェなどとも、おしゃれなイメージとも、全くかけ離れた場所だった。暗い地下鉄の改札を出て地上へ上がるとスーツの男か年寄りしかいない。行き交う若い女がいたとしても、皆一様にしてなぜかサングラスをかけている。ふしぎだった。
阪東橋駅で金髪にスウェットを着た男の人がやってきて、お店に案内しますと言われたので不安になりながらついていく。とあるビルの下だったと思う、何故か学校の時に使っていた懐かしい感じのする机と椅子に座るように言われる。男は言う。「ヘルスって知ってますか」「それはなんですか」男の話を聞いていくといわゆる風俗店の一種らしい。「キャバクラと聞いていたのですが」「ああ、先週潰れちゃったんですよ。」愚かなわたしにもさすがにわかった。あのティッシュは嘘だったのだなあ。今更ながら悟る。

そんなわけで時間を経れば当時はぎょっとした風俗街の派手な看板も道行く変人たちも日常の風景として見慣れてしまった。はじめは相模原に住み、川崎、横須賀、と移り住み、わたしは最終的に横浜に落ち着いた。住めば都、というが、それ以前に気づけばわたしは横浜を愛していたらしい。訪れる中で、たくさん傷ついて、たくさん涙を流した場所であったとしても、横浜という街はなんだかんだ縁のある街らしく何度出ていってもなぜか戻ってきてしまう。
先日読んだ本に、「自分の生が薄っぺらく感じたら、横浜で身を肥やせ。」と書かれていて、(入浴の女王/杉浦日向子著)わたしは昼の喫茶店でひとりおもわず膝を打った。いまのわたしにはその言葉の意味がよくわかる。光と闇。裏と表。白と黒。よく言われるように港町・横浜は二面性をもつ本当におもしろいところだ。そして外国の人も日本の人も関係なく飲み込む包容力。人々の営みの中に他の街にはなかった独特の情緒を感じている。住んでみてまた違った横浜の景色が見えてきた。出会った人々やおもしろい景色などこれからスケッチをしていこうと思う。

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