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陽気なギャングがなんとやら(黄金町近代史概要に代えて)

わたしはタクシーに乗るときには毎回、中島みゆきのタクシードライバーの歌詞を心の中で思い浮かべている。冷たい雨が降っていたいつしか訪れた夜の福富町の写真を懐かしく思いながら見返していた。

20歳前後、コーラよりも覚えたての酒よりも強い刺激が欲しくてたまらなかった。異性との交わりよりも自傷よりもけんぜんに生きている確認をしたい。そういうわけでとっくに周りのダイガクセイとの遊びがつまらなく思えていたし、それよりも妖しい雰囲気を醸し出しているスナックや夜のネオン街が気になっていた。よくないこととは思いつつ、好奇心ゆえにあっちもこっちも顔を突っ込みまくり、その性急さゆえに恥をかいたり、迷惑がられたり、うざったく思われたり。そして多少思い返せばヒヤヒヤする経験などもあった。近づくなかれと言われると近づきたくなる。そう、バカは死ななきゃ治らないのだそうだよ。

アンダーグラウンド。赤線。薬物。危険だから近づくな、と言われていたこの地域は、平和で穏やかでつつましく、あっけないほど何もなかった。住んでみてわかったことだけれども、スラム街と言われ、人々が忌み嫌い避けたがるこの街は、実はひそかなユートピアのように出来上がっていた、そんなふうにさえ見えた。知る人ぞ知る安住の地。ずるいではないか。

街の人々はほんとうにあたたかい。情緒ある下町で、かつ港町特有の開放感が合わさり、独特の大らかで、ほのぼのした空気がながれている。都会の人々は心当たりがあるだろうが、隣人と挨拶どころか顔も知らない、ということはよくある話だと思う。マンションの人々に挨拶することや商店街の人々と世間話をする、毎日がいとおしい。そして今この街に存在しているというこの安心感に、わたしはどれだけ救われたことだろう。人々の人生、心配事や不安について、愚痴についてを聞くことが多々ある。慌ただしく行き交う交差点のように。人々がやさしいのは、人々が傷ついた経験があるからだ。ここはいわば傷ついたかもめたちの波止場のような場所なのかもしれない。そんなことを思う。

伊勢佐木モールにいる人々は主にこんな感じである。
バラを片手にビールのんでるおじさん。
くまさん柄のパジャマを着たおじさん。
平日から古本屋のワゴンセールに群がる人々。
地面にゴザを引いて鬼殺しを飲むおじさん。
毎日開催される公園の将棋大会。
そのかわいさに何度も振り返ってしまう女装ロリイタちゃん。
なぐる女、抱きしめる男、バイオレンスなカップル。
おしゃべりとお茶を楽しむチャイニーズ集団。
エトセトラ。

そう、何にも縛られず、憚らず、おのおの心から自由を謳歌しているのだ。
たしかにレールを外れるのにはとてつもない勇気がいる。孤独を覚悟する必要がある。けれども、外れてさえしまえば、資本主義のランニングをリタイアしてさえしまえば、とびきり自由で、とびきり楽しい。この世こそ苦界である。この世こそ地獄かもしれない。そんなことを思っていたらこの街にたどり着いていた。工夫しさえすれば、苦しみから解脱する方法もある、そんなことを気づかせてくれる街である。

タクシーに乗る回数も最近めっきり減ってしまった。車内であてもないメロドラマに酔う夜もそれはそれで楽しかった。けれども、横浜はなんといっても野良猫のように裏路地をあるいてこそ、直に良さを見出し、ときめきを体感できる場所である。

異邦人のわたしでも横浜になら骨を埋める覚悟ができるだろうか。そんなことを思う。越してきた当初はあんなにスナックの音痴なカラオケが疎ましかったのに、飲食店の営業が制限されてしまったいまでは街が静かすぎて寂しいほどである。毎晩聞こえるおじさんのとびきり陽気でとびきり下手くそな歌声が恋しい。

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