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母とわたし。3

こんな異様な生活が6年続いたある日、母の彼氏が珍しく悪酔いして帰ってきた。

わたしはいつも通り自分の部屋へ逃げ込み大人しくしてた。

いつも隣の部屋から2人の話し声や笑い声が聞こえてきてたから気のせいだと最初は思ったけど、なんとなくいつもと違う嫌な予感がした。

普段なら絶対2人がいる部屋を覗くことはしないが、恐る恐る覗いてみると母の彼氏が母に馬乗りになって思いっきり両手で首を絞めていた。

母の顔は見たこともないような色をしていて血管が浮かび目は血走り涙を流してた。

一瞬頭が真っ白になったがとっさにわたしは母の彼氏の腕や肩を掴み母の首から腕を離した。

わたしも蹴り飛ばされて泣きながら近くの母の彼氏の実家に助けを求めた。

わたしがいなかったら確実に死んでただろうに、「あの時あんたを蹴ったけどあの人力加減はしてたと思う。」とか言えてしまう母のことはどう頑張っても好きになれない。

学生生活もうまくいっていなかったわたしは安心出来る場所が何処にもなく毎日ただ自分を傷付けることで安心感を得ていたのだが、先程の事件で、この人の家に居候している状況がもう限界だった。

わたしは母を自分の部屋に呼び、「あの人と一緒にいたければ一緒にいればいい。否定しない。その代わり次また同じように殺されかけてももう助けない。わたしはもうあの人の顔も声も見たくも聞きたくもない。微かな気配も感じたくない。車のエンジン音が聞こえるだけでも無理。吐き気する。限界だからここを出て行く。お母さんは此処であの人と2人で仲良く暮らせばいい。」と伝えた。

最初は、この恩知らずとか色々罵倒してきたり殴ってきたりしてきたが最終的な母の返事は「わたしも此処出るから2人で住もう。」だった。

わたしは嬉しかった。
今まで貰えなかったものが貰えた気がした。

でもそれは「一緒にいてやるからわたしの老後の面倒を見ろ。」という恐ろしい意味だった。

因みにこの言葉は2人で暮らし始めてから、家を出ている現在もずっと言われ続けている言葉だ。

2人暮らしが始まってからも母は毎日彼氏との話をわたしに聞かせた。
母の彼氏は平気で私たちの家の前まで車で母を迎えに来た。

あのとき伝えたわたしの気持ちは母には届いていなかったんだと毎日悲しかったし腹立たしかった。

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求職中で時間のある今、自分を長年苦しめているものは何なのか具体的に知りたくて、自分を変えたくて書き始めたnoteですが、書いても書いても悲しいお話ですね。
でもこれが事実だし仕方ない。
見苦しい過去を共有してしまいごめんなさい。自分の為とはいえ誰かに知って欲しかったんです。

母からの心無い言葉はまだまだあります。
自分とわたしの体型や体重、見た目、頭の良さを比べて喜ぶ。
「お金をかけて育ててるのになんでお前はそんな出来損ないなんだ。」とか。
「わたしの一番の理解者はあの人(彼氏)だけ。」とか。
わたしが20歳になった頃に、「ずっとお金さえかければいい子に育つと思って、会話はして来なかったんだ、ごめん。」とへらへら言ってた。
多分両腕傷だらけのわたしを見てやっと少し申し訳ないと思ったのかな。
よく分からないけど、殺意が芽生えた。いや、殺意はずっとあったな。

未だに母は母の彼氏との話をわたしにするし、仕事のストレスで変な痩せ方をしたわたしに、「その仕事頑張って続けなさい!そんなに痩せれたんだから。」と嬉しそうに言ったりしてきた。

でもわたしは母や母の彼氏を殺してないし、自殺もしてないし、母と顔を合わすときは今日もわたしを笑顔で傷付けてくるんだろうなと思いながら、深呼吸して気持ちを張って拒否せず会っています。

パートナーの支えがありわたしは毎日生きてます。

母とわたしの話はおわりにします。
読んで頂いた方ありがとうございました。

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