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暗示

 最近私はスピリチュアル系のグループに加入して、同じ意志を持つ人々と共有する場所に参加する事を決めました。

 既存の宗教に対して幼い頃からとても近い場所にいたものの、どこか馴染まない部分があり、けれど高次の存在は実際にいるという事はわかっていて、今の世間の価値観では解消できない矛盾を感じながらこれまでおりました。

 見えない者へ語りかけ、助けてもらい護られながら来ましたが、今こうして遠回りしながら既存の宗教である実家の手伝いをしなくてはならない事になり、その意味をずっと考えていた訳です。

 母は若い頃から、シルバーバーチやエドガーケイシー等の本を読み、日本の宗教家のお話を聞いていた様で、たまたま縁があり僧侶と結婚した為現在の形となった人なので、私は教義に縛られた価値観を植え付けられる事なく育ちました。なので、今は模索中ではありますが、ただ漠然と「意味はこれからわかる」と確信していて、直感に従い小さなパン屑を拾うようにして細い導きを辿っている過程です。

 既存の宗教観を否定しながら、実際にやっている事は既存の宗教そのものであり払拭できない罪悪感を解消できず苦しんだ時期がありました。しかし、ある時ふとそうではないんだと‥‥その罪悪感は不要だから手放せと勤行中に教えられ、統合し新たな物を見出す事を求めていく事に気持ちを切り替えていく事にしました。

題名に戻しますね。

 その過程があって加入したその会で先日仲間達が集まるZOOM会議と言うものに参加しました。フレンドリーな人々と繋がり、私も最近あった事をお話した訳ですが、その時良いエネルギーに触れたのか翌日身体にデトックス現象が起きました。

そして更に翌日夢を見ました。

 映像は珍しく白黒で、私はまだ3歳位。そばには兄なのか?兄の様に見守ってくれていた人がいました。彼は9歳。
 田んぼの水路傍に二人でしゃがみながら、遊んでいます。
私は黙々と水の中にいる生物を、稲穂?の様な長い植物で突いて遊んでいました。その男の子は、私に危ないからこう言う時は気をつけなさいなど色々教えてくれていました。

 小説や映画の影響か?過去世か?私には兄弟が居ないので不思議な感じでした。彼は誰なのだろうか?今生では存在しない存在ですが、魂の兄弟という位置付けならばあり得るかもしれない。

 記憶になくても懐かしく感じるその風景を眺めながら、その存在が誰なのか?近々わかりそうな気がしています。そしてその頃「何故今私がこの場所にいるのか?」その意味も分かるでしょう。適材適所‥‥なるべくしてなっている。これからそんな事が増えていきそうで、久しぶりに心が高揚しています。

 

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