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自由と自信と息苦しさと
フォロワーさんのお誕生日にはその方の推しを描いてプレゼントする、というのがありました。
私は遅筆なのでほとんどその流れに乗れたことはないのですが、参加している人は楽しそうで、もらった人も嬉しそうにしていました。
私も何度か誕生日にフォロワーさんから絵を頂いたことがあり、その時はものすごく嬉しく感じました。
私のためだけに時間を使って絵を描いてくれたことが嬉しくて。
でも、じゃあ私がお返しに絵を描くとして。
喜んでもらえるのだろうか、と、次第に思い始めました。
私の絵にそれほどの価値はあるのか。
私はプロではありませんし、私より上手い人なんて山のようにいます。
私の絵なんかもらったところで嬉しいのか?という気持ちと、それくらいしか渡せるものがない自分と、私自身もらって嬉しかった思い出がごちゃごちゃになります。
これが、絵描きとして有償依頼を受けている身なら、多少の価値はあるかもしれませんし、「私の絵をどうぞ!」と胸を張って言えたかもしれません。
いつもこういった自信のなさに足を引っ張られます。
自分の絵も、見てほしいのか、そっとしていてほしいのか。
以前は、同じ趣味のたくさんの人に見てもらいたい!という気持ちが大きかったです(当時も健全なファンアートばかり描いていました)。
しかし、クソリプ、焼きマロ、毒マロ、鍵引用RTなどといった現象(?)を知るにつれて、見られるということは、そういった悪意に晒される可能性も増えることを知りました。
幸いなことに、あまり悪口に晒されずに今まで生きてきたこともあり、そういった悪意あるコメントへの耐性もありませんでした。
二次創作サイトに入り浸っていた頃は毒吐きネットマナーのリンクがどこに行っても貼ってあり、また、学校でも「ネチケットを大事にしましょう」と教わる時代に思春期を過ごしたので、パソコンが普及し、スマホが出てきて、誰もがネット(SNSなど)で発信できる時代になって、ネットって怖いところなんだ……と気付きました。
思春期当時は、ネットと言えばまだお兄さんお姉さん世代が使うある程度分別のつく大人の場所だったのが、今じゃ小学生すらスマホを持つ時代ですもんね。
昨今の誹謗中傷事件やSNSでのいじめなんかを見ると、スマホが普及する前に高校を卒業できてよかったと心から思います。
話はそれてしまいましたが、誰もが発信できる時代というものは、自由であるがゆえに、優しさや道徳心、それこそマナーやリテラシーが一定の水準を満たさないことがあり、玉石混交な状態だと言えます。ある種のカオスです。
また、昨今の情勢による不安定さやストレス、ポリコレの促進、多様性への配慮その他から、昔は考えられなかったような事件が起きたり、昔は許容されていた言動や表現が通用しなくなったり、近々で言えば人権云々といったスラングから乱暴な発言が摘発されたりと、意外と好き勝手していると社会的にアウトになってしまいます。
こんなことを言ってしまうと反感を買いそうですが、いちいち世間体や社会への影響力を考えていたらなにもできなくなってしまいそうです。
もちろん、公の場に出る立場の方はできる限り配慮をしなければならないでしょう。
しかし、一般人のわたしはある程度自由にさせてもらいたい。
もちろん、大勢の人の目に止まる場所で好き勝手やりたいわけじゃないです。
見てくれる人は見てくれる場所で、私の絵って良いでしょ?好きな人は見ていってね、私のことを知らなくても「この絵いいね」って思ってくれる人が一人でも増えてくれたら嬉しいね、ちょっと仲いい人には絵葉書にして送ろうかな、なんて純粋に思えるくらいの自信が欲しいです。
こんな戯言もウザイって叩かれるときは叩かれちゃうんですけどね。
みんながちょっとずつ心に余裕が持てる社会になればいいな、と思います。
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