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Twitterに見切りを付けた日(結構ネガティブ)

今までTwitterから離れた経緯を説明せずに、離れてみてどうなったかという変化を綴ってきた。
今回は、私がTwitterから離れようと思ったきっかけや、実際に離れるに至った気持ちの変化などを書いてみようと思う。


Twitterをどのように使ってきたか

私が一番最初にTwitterのアカウントを作ったのは、確か大学生になるかならないかくらいの頃だったと思う。
そのアカウントは、リア垢、二次創作イラスト投稿垢、演奏してみた垢(ニコニコ動画で一時、エレクトーンの演奏してみた動画を投稿していたため)、鍵付きほぼROMリア垢と、よろづのことにつかいけり(1つめ)。
その後、趣味の絵とSSに力を入れ始めたので、複垢として二次創作用アカウント(趣味垢)(2つめ)を取得した。それが確か2017年の7月だった。
2019年には、うちにいる犬猫の写真を投稿するペット垢(3つめ)を作った。
それからあと2つ、一次創作用のアカウント(4つめ)と、表ではできないちょっとはっちゃけた趣味の話をする鍵付きアカウント(5つめ)を持っていた。

便宜上垢分けをしていたが、2つめの趣味垢を主に使っており、フォロワー数も一番多かったので、だいたいのことを趣味垢でつぶやいていた。
つまり、垢分けがうまく行かなかった。


Twitterから離れようと思ったきっかけ

きっかけは、とある匿名掲示板でSNSをやめた人たちの意見や感想を見たことだった。

とある匿名掲示板を知る前に、描いた絵に対しての反応が減少したり、相互さんの反応がなくなり、いいねのほとんどがFF外の方ばかりになっていたりと、特に何かやらかした覚えはないが、干されているのかな?と気になる日が続いていた。
不安から、ネットでSNSの悩みを検索していると件の匿名掲示板を発見し、まぁいろんな裏事情を知ることになった。

女性向け二次創作界隈の暗黙のルールは、古の携帯サイトを通ってきたのでそれなりに知ってはいたが、SNSでのやっかみや嫉妬、ムラ社会的集団心理なんかには疎かった。
特に気になったワードとして「互助会」というのがあった。
互いにいいねやRTをしあうことで反応を伸ばすというものらしかったが、なるほどこれが厄介だと感じた。

私も趣味垢を持った当初は相互さんの作品にいいねやRT、感想などをそれなりに投げていたし、私のかいたものにも同じように反応が返ってくるのが「同士」という気がしてとても楽しかった。
しかし、相互フォローが増えると、全員に対して密に交流することは難しくなっていった。
相互フォローを求めなくなってからは、今度はジャンル移動する相互さんが増え、10年以上1つのジャンルにいた私は他ジャンルの話についていけなくなった。
新規さんとつながることもほとんどなかったので、私のTLには知らないジャンルが増えていった。
それと反比例し、私のかいたものへの反応はどんどん減っていった。

そうこうしているときに出会ったのがSNSをやめた人たちの言葉だった。

SNSをやめた人たちは、口々にSNSをやめて好転した生活やメンタル状態を書き込み、最後には「もうTwitterやSNSには戻らない」と締めくくっていた。
そんなことないでしょ…笑 とおもいつつ、本当に開放されるなら良いよね、と思うようになっていった。


Twitterに見切りを付けた日

Twitterから離れようと決心する日の数日前から、彼氏との関係に暗雲が立ち込めていた。
何をどうしても私の心が晴れない。
日中、仕事だったり、家族と過ごしている時間は笑顔でいられるのに、疲れて部屋にこもると決まって頭の中で「私はダメ人間だ」と自分を罵倒する刺々しい声がこだましてダメだった。
毎日彼氏にLINEで相談しても気が晴れないどころか、彼からのメッセージを見るとどんどん自分を罵倒する言葉が強くなっていった。
私も彼氏も、とうとう私の頭がおかしくなったんだと思うくらいに、私は自分のことを罵倒し続けていたし、限界だった。
そんなときに気分転換に開いたTwitterで、「ネガティブな発言はいらない(雰囲気)」というツイートが目に飛び込んできて、私の中の何かがプツンと途切れた。

「あ、もういいや」

元気なときだったら、少しは気にしても大きなショックは受けなかっただろう。
でも、その日は何もかもがダメで、そんなダメな私は、その人にとって「いらない人間」なんだと突きつけられたような気分になってしまった。

私は一度ムリだと思うと、なかなかもとの関係に戻れない。
人間関係も、なんでも。

今までそれなりに楽しんできたTwitterが、この日、一気に無意味なものになった。
いいねやRTを求めることも無意味だし、誰かに認めてもらおうという気持ちも無意味だ。つぶやくことも無意味だし、ここでなにかを表現するのも無意味だと思った。TLを眺めていれば必ずといっていいほど、どこからか人のネガティブな感情がRTに乗って体に流れ込んでくる。ただただ、時間と労力を吸い取られているだけではないか。


そのまま、眺めていたTwitterのアカウントを消した。


ひとつ消すと、他のアカウントを消す抵抗もなくなった。

あまり使っていなかった一次創作用アカウントを消した。

趣味の話をする鍵付きアカウントも消した。

愛しい犬と猫の写真と動画を投稿し続けていたペット垢も、もういらないやと消した。

最後に趣味垢を消そうと思った。
これからも仲良くしたい人も何人かいた。
何人かいたからためらってしまった。
私のかいた絵やSSなんかはどうでもいい。
手元に全部のデータが残っているので、私にダメージはない。
でも、仲良くしたかった人に何も言わずに消える勇気がなかった。

私が「Twitterをやめた」とnoteに書いたことがないのはこのためだ。


趣味垢にしばらくTwitterを休む旨を記して通知を切った。
休むと書きつつ、このまま復帰しないつもりだった。
いや、まぁ復帰はしていないが、ツイートを辞めて数日経つのに、誰も私のアカウントをリムーブしてなくて少し驚いたので、生存確認程度にpixivに投稿した絵のURLくらいはTwitterに流してもいいかな、という気になってしまった。(ツイートする気にはなれないが)


つくづく意思の弱い人間だが、それでも日々は、Twitterがあった頃と違う時間を刻み始めている。
あんなに自分のことを罵倒していた頭も、水を打ったように静かになった。
理想は、仲良くしたい人たちとどこかで合流することだが、人との距離が近くなるといつも失敗して敗走するコミュニケーション弱者なので、難しいかもしれない。
まぁでも今は、このくらいの距離感で生きていてもいいんじゃないかな、と思うことにする。

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