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忖度なしの評価がほしかった~ピクシブでの評価が嬉しい理由

やることが頭の中で4~5個ぐるぐるしながらキーボードを叩いている。
今年の8月にノートPCにサイダーをこぼしてからというもの、エンターキーとスペースキーを押した時にペチョペチョするようになったため、久しぶりに数年前に買った外付けキーボードを使っているのだが、キー配列が若干違うので少々入力に手こずっている。
外付けの方はッッターーーーン!ができるタイプなので打鍵感覚は好きなんだけどね。

さて、今回はピクシブとツイッターでの評価と、その評価への感じ方を自分なりに整理して書いてみようと思う。
前提として、私は絵と小説をピクシブ、ツイッターの両方で投稿しており、ツイッターはほぼリアルタイム投稿、ピクシブはツイッターのまとめを投稿している。小説の投稿、反応数に関しては悩んだことが殆どないので、今回はイラストの投稿のみに焦点を当てる。


結論

ツイッターとピクシブ、どちらの反応が嬉しいかと言うと、私はツイッターよりピクシブで反応がある方が嬉しい。
反応数はほぼピクシブ<ツイッターである。
ピクシブの評価はいいねとブックマーク、ツイッターはいいねとRTであるので、そもそも同じ土俵で考えてよいのかは迷うところだが、これは個人的な感じ方なので今回は考慮にいれない。

評価の傾向

ツイッターは約400フォロワー、ピクシブは約160フォロワーである。
ツイッターもピクシブも生きているアカウントはいくつあるのかは定かではないが、体感として、ツイッターの方が死んでるアカウントが多いと思う。
ピクシブのフォロワーはほとんどがROM専である。
ツイッターは50もいるのかわからない生きてる相互垢以外は死垢もしくはROM垢である。

どちらにも言える傾向として、投稿時間と曜日で伸びる、伸びないが変わってくる。特にツイッターはどんどんTLが流れていくため、初動が肝心だと感じる。ピクシブはおすすめとして10年前のイラストとかがバンバン出てくるので、徐々に評価が増えていくということも少なくない。

ピクシブはサムネで一本釣りができる。
私はまとめに収録する絵の中から目玉となりそうな一枚を選び、正方形にリサイズして「〇〇ログ NO.△」と表記している。この時、主にキャラクターの顔や顔の一部を切り取るようにしているのだが、過去にはキャラクターの使っている道具をサムネにしたこともあった。圧倒的に顔の方が閲覧数が多い。

ツイッターの方は人気キャラ、人気コンビだと反応が多く感じる。あと、フォロワーの多いアカウントにRTされるとグンと伸びる。
細部にこだわるより、サムネで見た時の見栄えが重要だと思われる。あとはやはり交流がものを言うなと思う。
ツイッターはピクシブより交流にハードルがなく、RTもいいねも手軽なので、日頃からリプライのやり取りをしているとそれだけで気にかけてもらえる。
交流もうまくつかえば票になる。

交流票

そもそもの話、私は交流票が好きではない。
フォロワーとの交流を積極的に行っていたころは、すべてのいいねRTが自分の絵だけに向けられているのだと思っていた。自分の絵はいいねとRTの分だけ人に認められているのだと思っていた。

うつ病の不安定さから交流を少しずつ減らしていくと、今までいいねやRTをしてくれていた人が反応してくれなくなっていった。
絵が下手になっていたわけではない。ちょっとずつ絵柄を変化させたり、塗を勉強したりしていたので、画力自体は現状維持か上達しているはずだった。
「仲良くしてくれているから」という概念を知ったのは最近ではあるが、以前からツイッターの評価は当てにならないというのは知っていた。
以前からちょこちょこnoteにも書いているが、作者の人間性が作品にも影響を及ぼすというのも交流票の延長線にあると考えられる。

私はずっと、私の絵を忖度なしに評価されたかった。

忖度なしの評価

ピクシブに交流票がないかと言われれば、中には交流で票を得ている人もいるだろう。
しかし、私の場合は交流票とピクシブは結びついていないだろうなと思われる。というのも、160人いるフォロワーがいつも反応をくれているかといえば、多分そうじゃないから。「いつも反応をくれる人」というのを覚えていないからでもあるが、エンゲージメントを見るとだいたい見たことのない名前が並んでいる。

私の絵をどこからか見つけた人が「いいな」と思ってブクマやいいねをしてくれているのだと思うとかなり嬉しい。
もちろん、反応がなくても「これは私の投稿時間や内容がウケなかったんだな」と原因を自分自身ではなく作品の良し悪しに向けられる。

これがツイッターになると交流込みの評価になるので、急に反応が減ったりすると「私なにか良くないことを言ったかしら……」「なにか悪いことをしたかしら……」「日常ツイートがうざがられているんだろうか……」と自分自身に原因を探し始めて非常につらくなる。
「性格が合わない」という理由で私の作品までシカトされるのは悲しい。
もちろん、「仲良くしたいから絵はどうでもいいけどいいねしとこ」とかいうのも悲しい。

ツイッターはこれがあるからしんどくなるのだ、というのを自覚してからは、交流にまったく力を入れなくなったし、なんならほとんど壁打ち状態である。私と仲良くしたいと思ってくれている人がいたら申し訳ない。

評価の質の違いを知り、ツイッターに求めるものが変わった

私が本当にしてほしかった評価は「作者の性格や人格に関わらず作品そのものへの評価」だった。その点からするとツイッターは不向きなツールだろう。

ツイッターでは自分の求めるものが得られないと悟ってからは、以前よりもずっと自由に振る舞うことができるようになった。
これまでは一生懸命自我を消そうと頑張ったり、日常ツイートや悩みや不安なんかもなるべくつぶやかずに頑張ろうとしていたが、全然ダメでその度に病んだ。

今は誰にブロックされてもおかしくないし、ブロックされたところでダメージを負わないくらい心の距離を置いて考えられるようになった。
それでもやはりジャンルの動向を見ていると息苦しくなることはあるが、そう思わなくなるのも時間の問題だと感じている。

昔はひたすら数字にこだわっていたが、今は自由に発言できる場としてツイッターを認識するようになった。


おまけ・自分のサイトを持ちたい

今のところ作品のアーカイブはピクシブで事足りているが、いつかは再び自分のサイトを持ちたいなと思っている。
理由は居心地がよいから。

ツイッターでリアルタイム投稿し、ピクシブでまとめ投稿し、noteでブログを書き、たまにラジオも撮り……と、今はやりたいことを色んな場所に分散して活動している。
本来、私はとても面倒くさがりで、コンテンツは雑多にごちゃごちゃしている方が落ち着く。これらを全部統合できないかな?と思っている。

いいなと思っているのはピクシブファンボックス。
プランが選べるのは楽しそうだと思うし、プランごとに閲覧できる内容に差をつけられるのもなんか良い。良いって思うだけ。

ファンボみたいなサイトが作れたら嬉しい。ちょっとした夢である。

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