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♯8.大きな課題のその後−時間管理 230411tue.

4月半ばに差し掛かり、いよいよ新年度が始まったなという実感がようやくわいてきました。
少し頭の中に余裕ができたのでここ一年ほどのことを振り返りたいと思います。

一昨年の末にADHDの診断を受け、昨年は自分のADHDの特性についてどんな傾向があるのかということを自問自答しながら自己分析してきました。
一つ分かったことは、全てにおいて私の脳内にはモヤがかかっているということです。先を見越す力が弱いので、時間の見積りは甘く、締め切りが近づいてから慌てふためき、今ラクしたいがためにやるべきことは先延ばし、必要なものの選別ができないので荷物も増える。そんな状況に陥ってしまうのです。だから、困り事の一つ一つを因数分解するように、どこに原因があってどうやってその問題を解決していくのかを考えてきました。

昨年は「時間」が一番のテーマでした。
特に、目的地に到着するのが何故時間ぎりぎりになってしまうのか、というのは大きな問題でした。
よく考えてみれば、ギリギリだけど時間どおりには到着するのです。
ということは、私自身の前提的な考え方として『ギリギリ』を良しとしてしまっているということなになります。しかもそれは無意識です。
本来なら余裕をもって目的地に辿り着くことが理想なのに、私自身がそれを嫌がっているということなのです。

私が考えるADHDの大きな特徴の一つに『嫌なこと』はなんとしてでも避けたいという強い欲求が潜在的にあると考えています。
つまり私は余裕をもって目的地に辿り着きたいと思いながら、それを嫌がるという矛盾した状態になってしまっているということなのです。
たぶん多くの人が「何言ってんだこいつ?」というふうにお考えかもしれませんが、私の中ではそれが大きな発見でした。
おそらく私自身、日頃から手持ち無沙汰な状態を倦厭する傾向にあるので、
「早く着いて何してればいいんだろう?」
という状態を嫌がっているのかなと考えました。
何だか他人事のような言い方になってしまっているかもしれませんが、
自分を俯瞰して考察していくと、
素の自分を理性的な自分が見下ろしているような感覚になるのでこのような考え方になってしまうのかもしれません。
何だか自分という一人の人間の中で、幼い妹と同居していて、その妹の面倒を見ているような気分ですね。
要は本質がわがままなんですよね。
こんなことを言っては元も子もないですが。

では、この困り事をどう解決したら良いのか。
それは具体的な到着時刻を事前に決め、そこから逆算して行動するということしかないのかなと思っています。
当たり前のことですが、これが素の私はできないんです。
素の私は10時集合と言われたら、10時ジャストに到着することを考えてしまいます。
そこで、理性的な私は「ちょっと待てよ」と割り込みます。
「10時到着なら10分前に〇〇の駐車場に着くようにしよう。ということは車に乗り込むのが××分で、準備するのに15分かかるから、準備し始めるのは△△分だ。」
というところまで考えないといけないのです。
たぶん、定型の方々はこれを無意識レベルでできるんですよね。きっと。
でも私は意識的にここまで思考すると事前に決めておかないと「余裕をもって」目的地に着くことができません。
これができると心にだいぶ余裕ができるんですよね。
そうすると、その日一日気分良く過ごすことができます。
変な話ですが、自分のことを考察したところようやくここまで分析することができました。
まだ習慣化までは至ってませんが、これで少しずつ改善していこうと考えています。

ちなみに、ここまで頭の中で整理してもギリギリになることもあります。
時間の流れが定型の人とは違うのかなと思うほどです。
まあ、劇的に改善させるというよりはちょっとずつよくなっていけば良いかなと思っていますので、地道にやっていきたいと思います。

【補足】2023.05.29
集合時間よりも早く着いたら、その間何をすればわからず手持ち無沙汰になるのを嫌がる傾向があると書きましたが、
この感情の根底には、『想像できない自分』がいるのではないかと思います。
集合時間よりも早く到着したら、その間何をすべきかわからず、ほんの短い時間ではありますが、自分がどう過ごしているのかその姿を具体的にイメージすることができないから嫌なのかもしれません。

この『想像できない自分』というのは、自分の中に常に居て、どんな場面でも唐突に出現します。この『想像できない』というのが大きな障害となり、行動を起こせなかったり、理解できなかったりと様々な障害を起こします。
これも改めて新たな発見となりました。

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