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幼少期と家族


今の私を形成する基に、
やはり幼少期かかせないなと思います。

幼い頃の記憶のワンカットをよく覚えています

なので、少しづつ昔〜今に至るまでを振りかえります。

オンボロの家

今でも記憶が鮮明で、
ゆえに?よく夢で昔の家で過ごす夢を見ます

今は昔の家は取り壊されてもうなく、
私が大学に進学するときに、今の家を建てました
ちょうど家族との濃い記憶のほとんどは、
高校までに詰まってるからかもしれません

3歳から茨城へ


当時は家族4人
移り住んだ家が、超ーーーーーオンボロで、

お風呂場からゲジゲジムシ(名前は不明笑)がでたり、
ゴキブリほいほいにネズミがかかってたり、
畳が軋むのは当たり前
地震で傾いた玄関が最後は鍵も閉まらなくなりました
しまいには、幽霊を見た記憶も
今考えるとすごい家なんですわ、、

なによりも、
トイレへと進む一本廊下が暗くて怖い
家の一番奥にトイレがあり
一個上の兄に、遊戯王カードと引き換えに
よくトイレに付き添いをしてもらったものです(笑)
小学生のうちは、兄なしではトイレに行くのが怖かった

↓思い出して描いてみた

左にあるのは今は使われてない小屋
昔火事があったって噂で聞いて、薄くて超怖い笑


もう今は取り壊されてますが、
色々な出来事や感情が詰まってて
だからこそ、今も思い出に残ってるのかもしれません

私の父

私の父は、寡黙で真面目で放任主義

昔の写真を見たら、パンチパーマ時代があり、
写真を見て大爆笑しましたw


私が茨城に越してきた時は、
父が脱サラをし、地元で店を出そうと決めた時

今当時の父と同世代になった私は、
相当な覚悟で家族4人連れていったんだろうなと
尊敬がやみません。

料理ができる父だったので、
日曜日は父が休みの日
昼はたこ焼き、お好み焼き、もんじゃ焼きのルーティンが回ってくるw
日曜夜は父が美味しい料理を作ってくれたり、魚の捌き方を教えてもらったり、小さい頃は天ぷらを一緒に揚げたり、、

父が料理人だった影響もあり
どんなに嫌なことや悲しいことがあっても
ご飯を食べて元気を出したり、
人とご飯を通して時間を分かち合うことが
私の大事なコミュニケーションになってるのかもしれません


父は夜遅く帰る日々でしたが、
寝てると車の音で父が帰ってくるのが分かり、
起きてお店のお土産を楽しみに、
父とテレビを見たり
ご飯を食べるのが
至福の時間でした
(だから、小学生の時は食欲旺盛で私はぷくぷくしてましたw)

私の挑戦に一度もNoを言わず、
なんとかお金を工面し、応援してくれる
そんな愛情深い父です

人生で唯一怒られたことは、中学で彼氏ができた事笑


私の母

私の母は、正義感が強く真面目で辛抱強い

地元を出て、知り合いがいないなか、
厳しい姑のおばあちゃんも愛し、
子供3人を元気にすくすくと育ててくれました

看護師なので、幼少期は私も看護師に憧れてました

お金がなく、苦労したことが沢山あったと思いますが、元気に明るく生きてこれたのは、
弱音を吐かず前を向いていく、
母の生きる力があったからです

私が思春期になると、喧嘩することや
一方的に私が反発することも増えましたが
いつもケツを拭いてくれて、手助けしてくれる頼りになる母

長生きして、沢山自己実現する人生にして欲しいなと思っています



そんな父と母に育てていただき、
お金はなくても愛はある
そんな家庭だったのだと思います

当時の私は正直感謝よりも、
周りの同級生と比べて
自分の置かれた状況や環境に
劣等感や羞恥心、生きにくさ、悔しさを感じていました

なんで、いつも安いスーパーで買う500円のTシャツなんだろう
もっと可愛い服や流行の服が買いたいのに

なんで、こんなにオンボロな家に住み続けてて新しい家が買えないんだろう
もっとチラシに見る綺麗な家に住みたいのに

なんで、みんなで家族旅行(家族旅行は、小学生低学年で止まってます)に行けないんだろう
もっと皆んなで昔行ってた様に旅行に行きたいのに

なんで、嫌味を言うおばあちゃんとこんなに近くに住まなくちゃ行けないんだろう
もっと優しい人たちとだけ一緒にいたいのに

なんで、この狭い地元に居続けなきゃいけないんだろう
もっと広い世界を見たい、ここで一生終わるのはいやだ


特に小、中学生の頃は
自分の置かれた状況や環境を変える力の無さに
悔しい思いをよくしてました


もう相当前になりますが、
こんな幼少期の記憶が今でも残っており、
今の自分を支えたり形作ってるピースです


事実は一つですが、
どう捉えるかで全く違ったものに見えますね

お読みいただき、ありがとうございました💫

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