27歳一人暮らしOL、適応障害になり休職する。
タイトル通り。適応障害になり現在1ヶ月弱の休職中です。
休職前は「適応障害 休職」で検索しては色々な方のブログを読む日々を送っていたので、私の経験も誰かのお役に立てばと自分がどんな状況だったかなど記録しておこうと思います。
適応障害になるまで
新入社員の教育係になったことがきっかけでした。
マニュアルを作るとか、タスク管理アプリを導入するとか、色々と策を講じたものの新人は全てを無効化し、何を教えても翌日には初期化された状態で出勤してくる日々。
でも「覚えるペースは人それぞれだし」「新人研修中はなんでも丁寧に教えてあげよう」と自分に言い聞かせ、自分なりに丁寧な指導を心がけていました。
しかし「人それぞれ」では済ませることができないほど新人のミス、物忘れはいひどいものでした。
そんな日々で精神が削られていき、およそ3ヶ月後の8月頃に不眠や動悸の症状が出始めました。
心身に不調が出ていたものの、こんなことで心のバランスを崩す自分がおかしいと思っていました。
9月末の新人研修が終わった頃、新人のとあるミスを見つけた途端にサーっと血の気が引いて呼吸がうまくできなくなり、バクバクと動悸が激しくなって、自分じゃどうしようもできない苦しさに襲われました。
その日から新人と接する場面が近づくとひどい動悸に襲われるようになり、平日はほぼ寝付くことができなくなりました。
思えばこのあたりから適応障害だったのだと思いますが、やっぱり私はこんなことで心のバランスを崩す自分がおかしいと思っていて、病院に行くことができませんでした。
心療内科受診、そして休職
10月以降はかなり体調が悪かったのですが、とはいえ1〜2時間程度の睡眠をとって気合いで起きて、24時頃まで働くような生活がなんとかできてしまっていました。
なんとかできてしまっていたため「まだ大丈夫」と思っていました。
しかしある日突然「メールが読めないし返せない」状態になりました。
文字は読める(音読できる)けどその意味を理解する前に頭の中から情報が抜け落ちていくような感覚と言うのでしょうか。
即レスできていた内容も何度も読み返さないと意図を理解できなくなってしまい、「あれ?もしかしこれってかなりやばいのでは?」とここで初めて感じました。
一方で「こんなことでキャパオーバーなんて情けない」とも思ってました。
文章が読めなくなったことで通常の3倍の時間をかけても仕事が終わらない状態になり、毎日終電帰り、家に帰ってもどうせ寝付けないので仕事をする、なのに仕事が全然片付いていない。
そんな状況が2週間ほど続いた頃、朝一番の会議を寝坊しました。
その日の午後に上司に寝坊を揶揄されたことをきっかけに「自分が限界ギリギリの状況だったとしても周りの人には何も分からないし、頑張ったとしても褒めてもらえるわけでもないんだなあ」と思い頑張るのが馬鹿馬鹿しくなりました。
即日行ける心療内科を探し、翌日には受診することができました。
診察では
「新人教育がきっかけでおかしくなったけど、こんなことで心を病むなんておかしい」「人のせいにして休みたいだけなのかもしれないと思うと病院に行くのが怖かった」
みたいなことを言った気がします。
開始10秒くらいで涙が止まらなくてなってそのまま顔中べしょべしょに泣き濡らしていました。
その場で適応障害と診断され、1ヶ月休職の診断書と精神安定剤、睡眠薬を貰い帰宅しました。
休職(休職ではない)
1ヶ月の休職の診断書をもらいましたが、まともな精神状態ではなかったのでなぜか休職(有休消化)しながら仕事をしていました。
理由は色々あったけど
「いきなり仕事を休むなんてできないからキリのいいところまではやらなくちゃ」
「1ヶ月休んでも新人がいる環境に戻れば再発するから意味ない」
「なんで何も悪いことしてない私が休まなきゃいけないんだ」
が主なものだった気がします。
この気持ちがあまりにも強く、2週間後にまた心療内科に行って「業務引き継ぎのため一定期間就業化」という風に診断書を再発行していただき即復帰しました。
おいおい休む気ではあったのですが、休むとしても引き継ぎを済ませて周りへの迷惑を最小限にした状態にしておかないと結局色々質問の連絡とかがきて仕事から離れられないだろうと思ったのです。
今思えば余計なこと考えずにこの時にがっつり1ヶ月休んでおけばよかったです。
復職、そして休職
2週間程度の休職を経て、改めて長期の休職に向けた引き継ぎのために復職した私でしたが「何だか引き継ぎをする雰囲気がないな?」と思いながら、日々の業務に従事していました。
診断書にも「引き継ぎのため」と書いてあるのに何故だろう?という感じでいたのですが、今思うと多分休職期間中にバリバリ仕事してたからすぐ休まなきゃいけない状態だと認識してもらえていなかったのだと思います。
まともに休んでいないのでやっぱりメールは読めないし、会議でも人の発言の意図を理解しきる前に言葉が頭から抜けていってしまうような状態で「あーやっぱダメかも」と思うことが増えていきました。
そんな中、診断書記載の「引き継ぎのための一定期間」の期限も迫ってきて、私はこれまたまともな精神状態ではなかったので何故か「通常業務復帰」の診断書の作成を依頼してしまいます。
引き継ぎがされない=休んじゃいけないんだ、休んだら迷惑をかけてしまうんだ、と思い込んで焦ってしまったのです。
通常業務復帰の診断書を出して1週間後、私は通常なら考えられないようなミスをしてしまいました。
ミスに至るまでの経緯が明らかに脳の異常のせいだったので「このままだと取り返しのつかないミスをこの先してしまう」「私がいる方が職場に迷惑をかけてしまう」と思いました。
また、原因不明の激しい腹痛、下痢などの身体症状も出てくるようになり、改めてちゃんと休もうとこの時初めて思うことができました。
休職という形にすると、診断書の発行が必要だったり、職歴にも傷がついてしまうなど色々面倒が多そうだったので、今回は有休消化という形で1ヶ月弱お休みさせてもらうことになりました。
現在
今休んで2週間弱になります。
ようやく「自分が悪い」「申し訳ない」みたいな気持ちに襲われる時間が減ってきて、とにかくゆっくり過ごそうと思えるようになりました。
精神的に落ち着いた今になって振り返ってみての反省点はいくつかあります。
まず適応障害にならないために、
「新人を一人前に育てなければ」なんて思わなければよかった。
この1年間でちゃんと育てなきゃと思っていたけど、心に負担をかけるくらいなら心の中の「どうでもいい」ゾーンに置いて、当たり障りない会話をしているだけの方がよかったのかもと思いました。
そもそも「一人前になる」ために頑張るべきは本人で、私が「一人前にする」なんてことはできないので、そのあたりの他人との線引きが曖昧になっていたのがよくなかったのかもしれません。
適応障害になってからはとにかく早く休んでしまえばよかったです。
なるべく迷惑をかけないタイミングで休もうと思っていたけど、休む時点で人には迷惑が掛かるから考えるだけ無駄でした。
それに脳の機能が失われていくスピード感ってすごいので、一刻も早く脳を休ませた方が絶対に良かったなあってちょっと後悔しています。
お休み中漫画や本を読んでリラックスしようにも、脳がダメになっているので全く読み進められません。理解する前に頭から情報が抜けていく感覚は今もあります。
同様の理由でアニメや映画もぶっ通しで観るのはとてもキツイです。
娯楽でもこの調子なので、数日後から通常通り仕事ができるのかなあと不安です。
あと、ダメな時はダメってアピールすれば良かったとも思います。
私は新人教育中に新人が相当な曲者であることを直属の上司以外の誰にも言わなかったのですが、その結果私が新人いじめをしているヤバい女としてフロア内で噂になっていたと知りました。私にいじめられている新人を助けてあげようという勢力も生まれていたそうです。
その時は何も知らない人にそんなこと言われたくない!と思っていたけど、私がもし上手に新人教育に限界を感じていると周りに伝えられていたら、私と新人双方を助けようとしてくれる人もいたのかもしれない、と今は思います。
それに、最初の休職時も「いきなり仕事を休むなんでできない」じゃなくて「いきなり休むことになってごめんなさい」と言えていれば、すんなり休むことができていたとお思います。
上手に人を頼れるようになるのがこれからの自分に必要なことだなと思いました。
心は病まないのが一番ではあるのですが、病んだことで自分の課題を見つけることができたのは良かったかもしれないです。
これからは自分ファーストで生きていけるように、無理をしないで暮らす、人と関わる方法を自分なりに探していきたいと思いました。
20代のうちにこういった経験をして良かったと思えるように完治に向けて引き続き頑張りたいと思います。
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