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気持ちくらい市長でいてもいいじゃない。

こんにちは、ハム太です。
年末のお忙しい時期に読んでいただき、ありがとうございます。
今年も残すところわずかとなりましたね。

さて、年末年始の今日は、今年福井市であった市長選から着想を経て記したいと思います。

実は今回の選挙、とても接戦でした。
一騎打ちとなった両者の票数の差は、2323票。
双方共に40000票以上の票を獲得しました。
最近の福井市長選では、ここまでの接戦はあまり見なかったように思います。
ここから、一体何が見えるでしょうか。

市長が決まってからがホントのスタート

選挙結果からも分かる通り、福井市民全員(選挙に関係するまちの人たち全員)が納得できることはきっと永久に訪れません。
大事なことは、市長として選んだ人に意見をぶつけ続けることだと感じています。
選挙のときだけ、お祭り騒ぎをするのではなく、定期的に暮らしていて感じること、住んでいるまちのここが「こうなってほしい!」と思うその一言を行政と市民が共有することがこれからのまちの景色を作る上で大切な気がしています。

そのためにも、「まちに対する自分の感情」を大事にしたいなと個人的には思っています。
「こんなお店が来るとよいな」「この景色は自分が好きだ」「こんなふるまいをまちで見かけて嬉しかった・悲しかった」などなど。

別にまちに想いを馳せなくても、正直全然生きていけますw
が、考えていなければ、社会がどんな判断を下しても、それについてものを言えませんし、何より行政や政治家さんと話すときに、うまく転がされてしまうかも。気づいたら、「こんなはずではなかった」と嘆いても、そこから時間は取り戻せないので、やれるときにやれることをやりたいですね。

まちについて考えることはだれでもできるし、自由そのもの。
きっと、そんなことを繰り返して、市長という存在は生まれたのではないかと思っています。

まちの方向性は行政の長である市長が決めるもの。
そんな側面もあるのでしょうが、そんなまちは少し寂しい。
そう感じるのは僕だけでしょうか。

選挙から見える当事者意識

選挙では、「勝利」「敗北」というキーワードがつきもの。
でも、もしかしたら選挙では、選挙権を持っている人たちの当事者意識が試されているチャンスであると感じています。

当事者意識ということでいえば、我々公務員も一考の余地がありそうです。
市民から選ばれた親分についていけば、公務員は安泰なのでしょうか。
サラリーマン的な働き方をすることが多い公務員ですが、まちに対する当事者意識を持っている公務員がこれからは、より重宝されて、個としての動きが加速していくとよいなと思います。

市長は限られた人しかなれないですが、気持ちはだれでも市長になれます。
「気持ちくらい、市長でいたっていいじゃない」
この言葉は、私の尊敬する先輩からのひとことで、私も好きな言葉です。

それでは、みなさま、よいお年をお迎えくださいませ~。


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