見出し画像

30年ぶりに生家のお盆参りに行こうとしてる話

行ってからでええんちゃうか?
とも考えたものの、きっと行く前と認識も書きたいことも変わるんだろうなと。

10歳の頃に両親が離婚し、生まれた大阪の山奥から海のそばの九州に引っ越した。母の故郷へ。
その後も学生時代は夏休みとお正月は父や祖父母がいる生家へ帰っていた。というより母のところに居場所がなく、避難していたような感じだ。滞在中、祖父母はよくしてくれていた。
働きはじめてからも何度か行っていたが、20歳頃から泊まることはなかった。

父はいわゆる遊び人で、連れて歩かれたかと思えば行き先でいただいたポチ袋をそのままパチンコにつぎ込んだり、働き出してからは知らない間に職場から全額前借りしてたりしていた。今では考えられないけど、マジだ。

その後、祖父や叔父のお葬式で顔は合わすもののめったにやりとりもしなくなっていたが、ある時ふとここにいるのは今があるのは誕生したからか。もう、産まれただけで良かったのかと悟りの境地の感覚になり号泣しながら父に電話した。
父も号泣してた。
すまんかった、何もしてやれてない、ほんまにすまんかったと。

だがしかし!だがなのだ。
1ヶ月後、ここでは書いたらあかんやろな内容のことで毎度の大嘘をつき、あろうことかうちの娘(そう、孫だわよ)まで捲き込んだ。

オレの中の魔王を呼び覚ましたなオマエ。てな具合で絶縁した。それが7年前だ。

それが今年になり、謎に突然『もうええか』となり桜満開の春に生家に娘を連れていった。

きっと、親に愛されたかった思いを埋めたかった、取り戻したかった、そんな思いから形ある愛情クレクレ妖怪になってたことに終止符を打ったからだ。頭では諦めても、深い部分では諦めきってなかったのだろうな。

あともうひとつ親の離婚以来、生家にもどこにも帰る場所がないと感じていたのだけれど『そんなん知らんわ、わたしの家や、いつでも帰ったるわ』と決めてからすごいスピードで娘と行く流れになった。
101歳になった祖母もピンピンしていて涙ぐんで喜んでくれてわたしも泣いた。

なんかそこから壁というのかなんなのか今となってはよくわからん生家に対するハードルが消滅した気がする。

母方は神道なので、娘にとって初めての本格的な仏教のお盆だ。

今朝、父に行くと電話したらば何やら張り切っていたので、またソワソワしながらバス停まで迎えに来てくれるんだろう。

そしてわたしはこどもの頃に大好きだったヒロタのシューアイスを持って行くんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?