人を蔑む笑い



私は足繁く劇場に通うほどお笑い好きであるが、人を蔑む笑いが嫌いだ。

少し前までは面白ければ気分が晴れるし笑えればそれでいいと思っていた。男社会特有の危うさでブラック感満載のネタは好き寄りであった。




お笑いを好きなってから少し経った頃、私は3つ年上の男性と付き合い始めた。顔はタイプじゃなかったけど優しくて長身の理系という理由だけで何となく付き合っていた。

基本的には優しいが、お酒を飲んだときに垣間見えた暴力的な発言や普段からも私のことを過度にいじる発言があったが盲目だった私は少し気になりながらも付き合いを続けた。



しかしそう長くは続かないものだ。



親友カップルとダブルデートをしていた時のこと。
私は自他共に認める抜けてるところがあってその日もよそ見をしながら歩いていると、ドデカい看板の設置部分の角で足の小指をぶつけてしまうというハプニングが発生。

指先の見えるサンダルだったからあまりにも痛い。「いたっ!」という声と同時に私はその場でしゃがみこんでしまった。


少し前を歩いていた親友達はその声に気づいて駆け寄って大丈夫!?歩ける?と心配してくれていたが、その彼は駆け寄って来ることもなくその場から「もっとぶつけた方がいいんじゃない?ぶつけたりなんじゃない?」などとニヤニヤした表情で言ってきたのだ。
なんと人が痛みで悶えてるこの状況において煽ってきたのだ。


きっと彼はこれを面白いと思って発言したのだろう。笑いになると思って。
今までの人生、怪我した直後の人の目の前で煽りを入れる人を見たこと無かったのでシンプルにびっくりした。

同時にその瞬間“恋人”どころか“人”として見れなくなったのを今でもよく覚えている。心の奥底から気持ちがスーーッっと冷えていく感覚、「あ、ダメだ。」と瞬時に悟った。夢から覚めた。心の衝撃がデカすぎて小指の痛みは二の次なくらい。


後にその彼とは別れたわけだが、それからというもの私のお笑いに対する嗜好は変わってしまった。
人を馬鹿にすること、されることに対してトラウマになってしまった。




今私が好んで見ている芸人さんは、設定が固まっていてどのネタをとっても親が子供に見せて安心するくらい優しい。
笑いの中にある優しさや温かさに救われた。
その安心さが私にとってお笑い好きであることを続けさせてくれる一つの理由かもしれない。


最近、きっと何かが変わると思い前に好きだったネタを見てみたが、あの日の感覚を思い出してなんだかソワソワして途中でやめてしまった。
もうそういうのがつまらなくなってしまった。
それからは無理して見なくてもいいや。好きなものを見ればいいや。と心のリハビリを心がけるようにしている。

いつかまた趣味は変わるかもしれないけど、その時々にあうものを。
常に自分の気持ちを大切にしていきたい。



ぶつけてしまった小指の内出血は今でもまだ治らない。

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