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122話 セッションデーの変化

店で働いている間も、僕は上の空でいる事が増えて行った。
仕事に手を抜いているという訳ではないのだけれど、いつも頭のどこかに「どうすれば、自分のテンホールズハーモニカでジャズを吹けるようになれるのか」という事があった。
僕はもともと出来ない事があると、無駄にそれに集中してしまう方だった。それに加え、このジャズに関しての悩み方は、今までよりさらに厄介な部分があった。まず最初の「ジャズというものが一体何なのか」からして、まるで解っていなかったのだ。
ジャズはジャンルの範囲も広過ぎるし、ブルースの店で働いているくらいだから当たり前なのかもしれないけれど、それを教え導いてくれる人が自分の周りにはいなかった。
ましてや、何かの曲を聴いてジャズに目覚めた訳でもなく「吹けるとBGM的なライブ話が取りやすいらしい」などという誠にいい加減な理由でこのテーマを考え始めてしまったため、もはや何のモチベーションも上がらないまま、ただモヤモヤとした日々だけが過ぎて行った。

この頃から、店のブルースセッションデーの常連客の中に、少しずつ変化が起き始めていた。というか、自分が遅れてそれに気が付いたというところだろう。
ブルースというジャンルは音楽の性質上、歌とギターが中心となる音楽なので、何かしらの動きが出る時はギタリストからとなる。僕が気付いた時には、古株の常連のギタリスト達の中で、ブルースの演奏スタイルのままでも演奏できるジャズナンバーを選んで自分の持ち曲にする人が、徐々に増えていたのだ。
最初はどのギタリストかわからないけれど『なんちゃってジャズ・ギター』なる教則本が話題となり、それを参考に自分のブルースの持ち曲に簡単なジャズテクニックを加え始めた。
曲はわかりやすくオシャレに様変わりし、すぐに演奏者は一目置かれる存在となった。その違いはブルース特有の「どれくらいブルースという音楽が好きか」「男くさく、マッチョな魅力を出せているか」といったあやふやなものではなく、奏法の難解さが伝えて来るハッキリとした「技術的な上下」だった。
瞬く間に「ジャズっぽいテイスト」の演奏曲が増えて行き、店の雰囲気すら変わって行くようだった。そこはかとなく、セッションとしての敷居も上がったのかもしれない。
それらを習得した面子は「まぁ、これくらいの曲までなら、ワシらでもやれるわな~」なんて謙遜しながらも、それなりに鼻高々な様子だった。

当然、それを良しとしない面々も出て来る。
ブルースはなにより「1音1音への追求」や「定番表現の伝承」といった地味な部分が重要視される傾向があるので、テクニック色の強いジャズとは対極的なファン層が主軸となっている。
加えて、特にブルースセッションのような場は、シンプルな構造の音楽の中で、初心者から熟練までが対等に音を重ねられという良さを持っているので、技術の上下を重要視しない傾向が強い。
今までとの違いに「参加できない難しい曲が増えた」とか「今までは楽器が下手でも受け入れてくれてたのに」という不満が続出する。
カウンター越しに毎日セッション演奏を見ている僕からすれば、ブルースは確かに似たような曲が多過ぎるので、合間にジャズっぽい曲が入る事で聴いている分には程良い変化が生まれるし、それにより本来のブルースのシンプルさがよりカッコ良く聴こえるという、相乗効果すら感じる事ができた。
けれど、おそらくそれは僕がハーモニカというソロ楽器の奏者だったからで、伴奏者達は「演奏できるか、できないか」というシビアなふるいに掛けられていたのだ。それも前々から店にあった線引ではなく急に出現したものなので、その抵抗感はかなりのものだったはずだ。

出来ない側の不満は陰口となって顕著に現れた。
「全くよ、そんなにジャズやりたきゃ、ジャズバンド組めばいいんだよ。だろう?なんで、わざわざブルースセッションの店で、これみよがしにやるんだよ」
「だよな~。なんか、前のセッションデーの方が良かったよな~。みんなで簡単に演れる曲が多かったしな~。ほのぼのしてたよな~」
「曜日とか変ればいいんじゃねぇ~の?ジャズっぽい曲の日とかさ。上級者様だけのセッションデーとかさ」
悪口はどんどん露骨なものになり、時には個人攻撃にもなって行った。酒が入っているのだからなおさらだ。特にBarなんて何かと派閥色も出やすいので、すぐにグループ化し、対立がより険悪になって行く。気がついた時には座るテーブルも分かれた集団となり、誰にでも可視化できるほどになっていた。

とは言うものの「ジャズっぽい曲」を演奏している方だって、実際には「ジャズ」ではなく「ジャズっぽいブルース」を演奏しているだけだった。「インスト=ジャズ」と誤解していたお客さん同様、誰もジャズに関してまるで詳しくはないのだ。
気がつけば、「ブルースだけを演奏する人」より「ジャズっぽい曲も演奏できる人」の方が上級者であるかのように扱われるのが普通になって行き、その結果、まだ誰も周りに存在しない「実際にジャズが演奏できる人」をより高い位置に持ち上げるしまつだった。

もちろん僕は店側の立場なので、どちらにつく訳でもない。全員に平等に接する役割だ。
けれど、そうも言っていられなくなって行った。僕が「すでにジャズに取り組んでいる人」と誤解されていたからだ。
店の中で「ジャズっぽい曲推進派」と「ブルースっぽい曲保守派」に分かれたとすれば、間違いなく僕は推進派と思われていただろう。それどころか、僕が推進派の代表くらいに思われていたかもしれない。
セッション曲が難しくなるにつれ、当然ハーモニカだって初心者では参加できなくなってしまう。その流れからホストメンバーの方から「次さ、ちょっと難しい曲だもんで、広瀬さんハープ頼むわ」などと声が掛かる。
僕も「いやぁ~、他の方に回してあげて下さいよ~」と、誰かに吹く機会をゆずるべきところだけれど、そういう曲は初心者には吹けないのも事実だ。店に来ているハーモニカ参加の初心者は「待ってました、広瀬さん!」なんて言ってはくれるものの、自分の出番を店員にとられ喜ぶ参加者などいるはずはない。

そんな店の変化のおかげもあって、僕はブルースセッションでの演奏曲を通じ、「ジャズっぽい曲」に関しては聴く分にも演奏する分にも、十分に馴染む事が出来た。
常連客の会話の中にますます「ジャズ」というワードが増えるようにもなって行き、それが「ジャズを吹けるようにならなければ」という自分の最優先事項と重なり、徐々に自分のモチベーションの方も高まって行った。

ある日一念発起し、僕はもっと真剣にジャズについて取り組んでみようと思い立つ。
僕はかつて自分でやっていた音楽の勉強法を思い出し、それを久しぶりに始めてみる事にした。単純に、ジャズのCDを片っ端から聴いてみる事にしたのだ。

まずは、店の音楽通の常連客数人に「ジャズマンと言えば誰ですか?」と質問し、名前が出る頻度順に、何のこだわりもなく、片っ端からそのプレーヤー達のアルバムを手に入れ聴いて行った。
サックスでは「チャーリー・パーカー」、トランペットでは「マイルス・デイビス」、ピアノでは「セロニアス・モンク」と、まずは誰でも知っているこのレジェンドの3人から。
次に「ビッグ・バンド」もの、「ボーカル」もの、ひいては誰もが眉をひそめる「ザ・ベスト・ヒット・ジャズ」のようなベタなオムニバスアルバムまで。
けれどこの勉強法はすぐに破綻した。どれだけ聴いてもなんの興味も持てなかったからだ。登場する楽器が違うくらいの事はわかるけれど、それぞれの曲がいつまで経ってもただの音の連なりにしか聴こえて来なかったのだ。
当たり前だ、その楽しみ方をまだ知らないのだから。
数学の参考書と同じ、意味が分からなければただの数字や記号の羅列でしかない。まさにダメな受験勉強法の見本のようなものだった。
加えて、僕にとってはインストゥルメンタルの音楽を聴くという土壌が、ほとんど無かった。ブルースやロックを始め、僕が聴くのはボーカルが入っている音楽ばかりで、それ以外だと気に入った映画のBGMアルバムや、参加バンドのライブ用サンプル曲くらいなものだった。

そしてようやく基本に戻り、僕はジャズのハーモニカ奏者のアルバムを手に入れ始めた。
当時はまだ曲のダウンロード販売などは無いので、手に入るジャズハーモニカのCDと言えばクロマティックハーモニカ奏者の大御所「トゥーツ・シールマンス」や、唯一の若手「ウィリアム・ギャリソン」だけ。それを大手のレコード店タワーレコードで買うくらいのものだった。
けれど、どれもBGMとして聴くには良いものの、自分のテンホールズハーモニカ演奏の参考にするとなると、ピンとは来なかった。
その頃は、自分でもある程度はクロマティックハーモニカをライブで吹いていたのだけれど、やはりテンホールズの「ポワ~ン」というベンドの音や、アンプリファイドのパワフルなサウンドで味わえるような、自分をゾクゾクさせてくれる感覚は得られなかった。
本来ならば、メロディーを選ばず何でも演奏できるオールマイティーな楽器として、クロマティックハーモニカを主の楽器にする方が断然プロ志向の発想だろう。テンホールズハーモニカは構造的にも曲を選び過ぎるきらいがある。けれど、僕は頑固にそれをして来なかった。
やはり音楽から入って楽器を始めた人と、漫画家を目指してたまたま面白い楽器に出会い、練習するために音楽を聴き始めた人との違いなのだろうか。目指す音楽の内容より、吹きごたえや自分の中に広がってくフィーリングみたいなものばかりを中心に、演奏というものを考えていたのだ。

そんな僕でも、それなりに必死だったせいか、少しずつだけれど頭の中にぼんやりとしたイメージだけは浮かんで来つつあった。いつの日か、自分がジャズらしいものを吹けるようになった時の演奏イメージだ。
けれど、そのイメージの元になったのは、いろいろ聴き漁ってみたジャズCDなどからの影響ではなかった。
自分が今まで憧れて来た「ブルースマン」達の演奏から来るものだったのだ。

つづく

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