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44話 ハーピストのライブ

高校の同級生とスタジオをめぐってケンカをした後、総勢25人で「スタンド・バイ・ミー」1曲を演奏する企画が、結果として大勢から嫌なひやかされ方をされるような結果になってしまい、僕はスタジオという場所自体に全く興味が無くなってしまった。
それどころか、人前ではあまりテンホールズハーモニカを吹かなくなった。初めて、ハーモニカで「妬まれる」という経験をしたからだ。どことなく惨めな気分が似合うこの楽器は、茶化される事はあっても妬まれるなんて、正直想像もできなかった。

それでも、自分ひとりの時には地道に吹き続けていたし、学校でも「吹き方を教えて欲しい」と頼まれれば、人のいない場所へと移った上で、ある程度までのアドバイスはしていた。
ただ、時折「おい、ブルースマン。ブルースハープ吹いてよ」などと言われても「ごめん、今日、持って来てないから」と答えるようにしていた。心底、みんなからのひやかしがこたえ、自分がいないところではいろいろと悪く言われているのだろうと、いつまでも警戒感が消えなかったからだ。

それは自分のメンタル面が弱かったというだけではなかった。デザイン学校の性質もあってか、いい歳をした大人の学校なのに、誰かをしつこくからかったり、のけ者にしているのを見かける事が増え、目立つ者を目の敵にする状況が、露骨にわかるようになって来ていた。
誰もが「地元では1番人気があった」というタイプの集まりの中で、なんとかカリスマ性を出さなければという力みからぶつかり合うのだけれど、人間的なパワーと作品的な評価が必ずしも釣り合わないため、強烈な歪みとなって現れ出すようになる。
つまりいじめる集団側は作品では残れない側で、その数は卒業につれ増して行くのだ。
もちろんいじめられる側にもそれなりの理由はあるのだろうけれど、デザインのような業界では、作品の評価が低ければ、誰の目にもとまらず攻撃される事はない。

僕はクラスメイトの誰の目にも明らかなほど、デザインへの情熱が無かったのにもかかわらず、課題作品の評価は常に良く、なにかと話題にもされ、先生にもかなり好かれていた。そんな奴が、みんなが賛同する企画を出したり、ポケットからさっと取り出した小さなハーモニカで気軽に「ポワ~ン」とやるのだから、嫌われない訳はないのだ。ましてからかってくれと言わんばかりの、ダサい色つきの眼鏡までかけて。
僕はそれがようやく解り、クラスメイトとは必要以上には関わらないようになって行った。まぁ、中学校の頃だって仲間はずれになっていた側なので、特に辛いというほどでもなかった。ただ「ハーモニカを吹いてよ」と言われて嬉しかった日々が失われてしまった事だけが、残念でならなかった。

そして人とつるまなくなった僕は、いつの頃からか、ひとりで通えるある場所に夢中になる。
それは「ライブハウス」だった。僕の専門学校のある東京は有数のライブスポットでもあり、阿佐ヶ谷、荻窪、高円寺あたりは、映画館に行くより少し高いくらいの金額で、ブルースバンドのライブ演奏を手が届くほど目の前で、毎週のように観る事ができた。
特にJIROKICHI(ジロキチ)というライブハウスはプロのハーモニカ奏者の聖地のようなところで、日本のトップハーピスト(ハーモニカ奏者)が入れ替わりで総出演しているという感じだった。
楽器店のハーモニカコーナーの店員Uさんからの情報で、初めて「プロのブルースハーピストの演奏」を聴きにJIROKICHIに行った時は衝撃的だった。もちろんそれまでにもライブハウスやコンサートホールなどには何度も行った事はあったのだけれど、自分のお金を払って、ひとりだけでわざわざ見に行きたいとまで思った事は無かった。

僕が初めて観に行ったプロのブルースバンドのライブは、ブルースハープの第一人者ウィーピングハープ妹尾隆一郎さんの率いる「ローラーコースター」だった。初めての生のエレクトリックハーモニカのサウンドに、僕は大満足だった。音楽として聴くという以上に同じハーモニカを吹く者としての喜びの方が強かった。今、口の中ではどうなっているのかや、呼吸に対しての音の広がり方などが、自分の身体を通すように楽しめたのだ。

JIROKICHIというお店は、当時はそんなに大きな店には感じず、30人も入れば満員なくらいな印象で、ドリンクを注文をするカウンターがひとつ、あとはテーブルもなく椅子が並べてあるだけだった。ステージの幕もなければ、ステージと客席との段差もほとんどない。本当に手の届くところで、大音量の生演奏が行われていた。

演奏が終われば気軽に演奏者達と話をする事もでき、中には僕のようにハーモニカを吹いている人もいて、質問をしたりもしていた。まだそこまで積極的になれない僕は、後ろの方でそのやりとりを聞いているだけだった。
他にも、一緒に写真を撮ってもらっている人や、ステージに置かれたままのアンプやエフェクターと呼ばれる音響類を覗き込み、その種類や設定などを観ている人なんかもいた。

一度その空間に足を踏み入れてからの僕は、すぐにレコード集めを一段落させ、その分のお金でライブを観に通うようになった。
JIROKICHIだけでもかなりの数の有名ハーピストが出演していて、僕はこれほどまでのバリエーション性がある楽器なのかと、毎晩のように自分の小さなハーモニカを眺め、誰に聴かせるあてのない孤独な練習に明け暮れていた。
そして、ある時、ハーモニカの神様「八木のぶお」さんの存在を知る事になる。

八木さんのハーモニカは、国内外の誰とも違っていた。その音色は水で包まれているようなプルンとした潤いがあり、マネのできない独特なビブラートには、聴いている自分の血流のリズムが重なって行くような興奮さえおぼえたものだ。
八木さんはさまざまなユニットに参加をしていたので、八木さんのライブに行けば常にいろいろな音楽を聴く事ができた。ハーモニカの表情も様々で、僕はハーモニカという楽器を通して、ブルース以外の音楽も自然に聴くようになって行った。
八木さんがあまりに多くのジャンルの演奏に参加しているため、僕はいつしか八木さんの事を、さまざまな難問にチャレンジしている「勇者」のように思うになっていた。
毎回のライブ後に、誰もが八木さんに気軽に話しに行くのだけれど、僕にはその存在が大きすぎて、実際に直接お話しをできるまでには数年を要した。

ただライブ後、八木さんが離れてしまったステージ上で、僕の視線はいつもある一点に注がれ続けていた。それは八木さんの使っていた特別なハーモニカの機種「マイスタークラス」だった。

つづく


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