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121話 僕の最優先事項③

元々デュオで演奏して来た2人は「ん?ジャズの話?はいはい、ではさよなら~」「じゃあ、また来月」と、笑い混じりで、逃げるように先に店を出て行った。
この2人はBGM演奏を引き受けられるほど、ブルースやソウル、カントリーにポップスまで幅広いレパートリーを持ってはいたけれど、「ジャズ」というワードが出ると他のバンドマン達同様、検討すらしたくはないようだった。
特に僕のようなソロ楽器なら、メロディーだけを吹くなど範囲を限定すればまだそれなりに対応できそうだけれど、伴奏を担当する側となると、コードやリズム、オブリにアドリブ、イントロからエンディングまでに責任がある訳なので、その負担がまるで違う。そりゃあ逃げたくもなるのだろう。歴があるバンドマンほど、うかつな返事はしないものだ。

残された僕は、頭をかきながら(言葉にはしづらいですが、ジャズはちょっと)と遠回しに逃げようとしたのだけれど、マスターがすぐに言葉を重ねて来る。
「いやいや、違うって、聞いただけだってさ。まったくさ、みんなそうなんだよな。だろ?ほら、あいつらだって逃げちまいやがる。みんな、ジャズはちょっと~、ってなもんだよな。やんなるよ」
僕は、スマートな見た目とかなりギャップのある、この「べらんめぇ口調」にはちょっぴり笑えてしまい、あまり構えず少し話を聞いてみる事にした。
「やっぱり、このお店でも、ジャズを聴きたがるお客さんがみえるんですか?」
マスターは僕に、今さっきまで、カウンターで呑んでいた常連客としていた会話を教えてくれた。
なんでも僕の吹いていたハーモニカのフレーズが、よく聴くブルースの典型的なものではなく、ジャズの曲に似合いそうなので聴いてみたいと言っていたそうなのだ。その方は音楽にかなり精通されているようで、いわゆるブルースハープを使ってジャズの曲を吹いているような演奏を聴いた事が無いので、興味が湧いたらしい。
そうは言っても、いきなりライブ中に「ジャズの曲」をオーダーをしたところで、普通は気まずそうに断られるだろうと思ったらしく、これから定期的にこの店で演奏するメンバーなら、後でマスターからそれとなく話してみて欲しいと言われたのだそうだ。
僕はうんうんうなずきながらも、心の中では(あ~、オーダーされなくて良かった~。危ないところだった)と胸を撫で下ろした。やっぱりこういうBGM的な店は、曲のオーダーという仕組みが最大のネックになるようだ。

マスターは、僕の反応からどうやらジャズはできないし興味も無いらしいと悟った上で、目を少し見開いて、ふざけたような笑い混じりの表情で、僕に言った。
「なんかよ~、儲かるらしいよ。ジャズができるとさ。なんたって、演奏する場所が多いもんな、ジャズはさ。ほら、ここいら(名古屋)だって、ジャズの店が一番多いんだからよ。まぁ、客は、別に好きで聴いてる訳じゃないんだろうけどな。カッコつけだよ。ジャズなんてさ」
マスターはそう言うと、カウンターの脇にあるビデオテープの山から一本を抜き出して、それを野球ニュースが終わったテレビ画面に流し始めた。
それはカントリーミュージシャンのライブ映像だった。
最初は(えっ?カントリー・ミュージック?ジャズの話じゃないの?)と、そう思ったけれど、マスターはビデオテープをキュルキュルと早送りして、ある曲を僕に聴かせてくれた。
それは、カントリーミュージシャン用にアレンジされた、ジャズの定番曲「A列車で行こう」だった。偉大な作曲家デューク・エリントンの名曲のひとつで、日本では最も知られたジャズ曲と言えるだろう。
マスターは笑いながら僕に言う。
「な?わかるだろ?『A列車』だよ、有名なやつ。こんなカントリーの連中でも演ってんだ。うちなんか、こんなでいいんだよ。なんなら君のソロのハーモニカで、軽く一節だけやってくれるくらいでも良いんだ。雰囲気変わるしな」

それは確かに、ジャズの曲とはいえ僕でも出来そうな範囲だった。本格的なジャズのバッキングでなくても良いなら、今日一緒に演奏していたトリオでも演奏できるはずだ。現にブルースハープでクラシック曲を吹いている人だっているのだから。ただメロディーをなぞるくらいなら僕にでも出来そうだった。
マスターはすぐにビデオを止め、また画面をテレビ放送に戻し、改めて僕に言った。
「まぁ、ちょと考えてみてよ。まだ若いんだからさ。ひょっとしたら、仕事になるかもしれないぜ。ほら、結婚式とかさ、ほれ、あれだ、金持ちのパーティーとかさ」
僕はマスターの笑顔のお陰で「少し考えてみますね」と、笑顔で返す事ができた。そうは言っても社交辞令のようなもので、曲の当てもないし、正直興味も湧いて来なかった。

帰りの車の中で、僕はぼんやりと考え事をしていた。今さっきまでのようなライブだと、誰もが生演奏を聴いたという実感もないだろうし、演奏しているこちらもそうだった。
けれど、僕には不思議な満足感があった。久しく無かった、演奏だけに集中出来た時間だったからだ。
ライブ客の入り具合にはまるで責任がない。珍しく、お店としてドリンクやフードが出ているかなどにも興味がわかなかった。同じ業種で働いてるのなら、店の売上に協力しろよというような無言のプレッシャーもなかった。とにかく演奏者として、決められた時間内で、40分3回数分のステージ演奏の事だけを考えれば良いのだ。しかも、オーダーがなければ、基本的には選曲はこちらの自由なのだ。
(うん、そうだよな。こういうのが、演奏の仕事なんだよ)と、僕は心底思えた。
次の瞬間、急に僕は自分の中で沸き立つものを感じた。
こういう本当のBGM的な店だけで演奏を続けて行ければ、もっともっと確実に腕を磨き続けられるだろうし、経済的な心配をせずに、演奏を仕事として継続をできるはずだと。
その期間は店の仕事との両立だって問題は無いだろうし、じっくりとこの先の事を考える時間もできるはずだ。考えてみれば、別に多くの集客に恵まれたライブばかりを続ける必要はない。マイナスがなく、少額でも確実にプラスがあるライブだけを、地道に続けて行ければいいんだと。

そして、また次の瞬間には、もう溜息が漏れていた。僕の吹くテンホールズハーモニカで、そんな話がいくつも取れるものだろうかと。
ブルースハープと言われるほど、ブルースと密接なこの楽器は、歌が軸となるブルースが主戦場となる上に、さらりと聴けるブルース演奏なんて聴いた事がない。聴き応えのないブルースなんて意味がないし、会話の邪魔にならないハーモニカなんて、目指す方が難しいというものだ。
ならば、やっぱり今まで通り店の仕事をやりながら、正道として、感動を呼ぶようなハーモニカ演奏を極める事に、今以上に全力で立ち向かえばいいのではないか。客を入れられるスーパー・ハーピストになればいいのだと。
(でもさ、今の歳でそれを目指すの?今までに大きな演奏仕事もした事がないのに?テレビにだって出た事はないのに?大体が、もともとそれが目標なの?仮にスーパー・ハーピストになればどうなるの?それで自分のお店が持てるの?そもそも、僕は本当にお店を持ちたいの?なら、もっと真面目に店の勉強をすればいいじゃん。調理師免許を取ったり、物件を探したり、資金を貯め始めたりさ)

なんだか混乱して来た僕は、訳の分からなさの中で必死に自分の逃げ場を探し続け、そしてとりあえずの目の前に現れた新たな課題を手繰り寄せると、まずはそれをクリアする事で、今よりは状況が良くなるのではと鼻息を荒らげた。

そう、ジャズが演奏できれば、少なくとも演奏で金を稼ぎ続けられるのかもしれないと。
その日から、密かにそれが、僕のとりあえずの最優先課題となったのだ。

つづく


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