見出し画像

私がおっさんになっても

 いよいよ、はっきりと『おっさん』になった。今まで、どこか中途半端で、サナギマンのような気分だったが、完全にイナズマンになったような、それでいてとても残念な感覚だ。

 子供の頃は『おっさん』が大嫌いだった。見た目も悪いし、匂いも臭い。どこでもかさばるし、態度も横柄だ。

 唯一おっさんに好感を持てたのは、「これ、とっておきなよ」という魔法の言葉とともに奇跡のパピルスを差し出す瞬間。つまり『金』だ。おっさんはとにかく『金』だけは持っている。女性が寄って来るのも、似合わない服などの買い物を褒めてくれるのも、このためだ。

 しかし、私は、おっさんになったというのに、金がない。誰も寄って来ないし、褒めてもくれない。だから時折、鏡に映るヒゲヅラのキャンディに「笑って」と3回つぶやくのだ。

 身体の調子はどんどん悪くなる。関節はガタつき、パワーもなく、オイルやエレメントを変えても、もう車検は通らなそうな状態だ。

 そんな私は、おっさんというのに、子供なみによくお腹を壊す。先日電車に運悪く、快速の駅を飛ばしてる間にゴロゴロと雷鳴が鳴り響いた。いきなり訪れた世紀末に、ラオウ顔負けの表情で自分の周りから人を遠ざけ、まさかの事態を回避しつつ、慎重に爆弾を抱え続けた。今回も間一髪で無事聖地にまで辿り着けたが、危うく明日を見失うところだった。もしもの事態が起こっていたら、私の心に開いた穴は7つどころではすまなかったはずだ。

 その疲労困憊は激しく、その日は終日、ぐったりと乗り切るしかなかった。疲れがなかなかとれない。まさに、もう若くはないのだ。とにかく、おっさんになった自分にはプラスがない以上、さらなるマイナスを作らないことがなにより大事だ。

 そんなことからも、すっかり冒険をしなくなった。ギャンブルにも胸が弾まないのだ。必ず、私が負ける。イチかバチがではない、常にバチなのだ。ファーストフードでも新製品は試さないし、だいたい新しい店には入らない。試供品も受け取らないし、試飲もしない。まぁ、カルディの小さいコーヒーは飲むが。新しいギャグを思いついても、口から出ないことが多くなった。そのくせ、泉のようにダジャレが思い浮かぶ。気が変になりそうなほどだ。

 最近になり、私よりはるかに老けた露天商から「お父ちゃん、買わない、ねぇ?」などと声を掛けられるようになった。私に子供はいない、ましてあなたのような老いた子供には全く覚えがない。いやおうなしに自覚をさせられる。「お前は、完全におっさんなのだよ」と。

 終電近くの電車では同じような年恰好の会社員のおっさんたちが、ほろ酔いでつり革に手首を通し、大声で愚痴をこぼす。「あ〜あ、結局さ、俺たちは使い捨てよ。量産型ザクよ、ザク。あの緑のやつ。せめてさ、シャアザクくらいにはなりたいよな」「いえいえ、課長はゲルググですって、立派にシャア専用ゲルググですよ」さすがに歳はとってもアニメ世代だ。しかし、どんなに情けなく見えても彼らは会社員、昼間はジオン軍に所属しているのだ。私はそれ以下の、フリーのおっさんだ。ミハル・ラトキエのような、おっさんだ。このまま、さらに歳をとって、訳のわからない天寿をまっとうすることになるのだ。

 よく「金はあの世まで持って行けない。知識にまさる財産はない」というが、私には知識もない。いいとこなしの、無知なおっさんなのだ。

 そして、おっさんには次がある。『じいさん』だ。

 昔、『じいさん』に思っていたこと。動きはノロイし、話は長い。
いつもおこっているし、すぐ死にかける。唯一、好感の持てたのは、「いざという時、こいつを頼るんだよ」という魂の財産。『金持ちの人脈』だ。

 ふぅ、、、金持ちの友達か、、、これからでも、出来るのだろうか、、、

 そんなことを考えながら、私は、今夜のカップヌードルをカレー味に決めた。

2019.3.30