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理屈っぽい人間がコミュニケーションに失敗する話

私は理屈っぽい。

どのくらい理屈っぽいかというと、小学6年生の頃に同級生のちーちゃんから「また出たよ、あゆどんの解説」と学校の帰り道で言われたくらい理屈っぽい。
なぜそう言われたのかは全く覚えていないが、ちーちゃんと同級生が「これなんだろうね〜」と盛り上がっていたところに私が「それはね、こういう仕組みなんだよ」とうんちくをかましてしまったのだろう。
ちーちゃんは別に本気で答えが知りたかったわけではなかったのだ(今となっては想像でしかないけど)。

大人になった今では、理屈や正論が最適解にはならないことを知っている。コミュニケーションが情報を伝達するための手段ではなく、それ自体が目的になりうることを知っている。

ただ、今でもときどき間違える。

数ヶ月前、行きつけの喫茶店のママさんと焼き鳥を食べに行った。私が頼んだずりポンともちチーズは、歯が痛いから食べないとママさんは言った。かかりつけの歯医者があったが、いろいろあって、もう行きたくないらしい。歯が痛い、歯医者には行きたくない、痛い、行きたくない、という話が続く。

そこで私は言ってしまう。
「歯医者行かずに痛いの治るんですか?」

その後の「そうなんだけどね……」という返答で気づく。ああ、また間違えた。

痛みに対する共感や歯医者で嫌な思いをしたことに対する慰めが必要な場面で、「なぜ問題を解決しないのか?」というニュアンスの発言はそりゃダメに決まっている 。コミュニケーション下手くそマン参上。
いっそ思いっきり鈍感で、不用意な発言をしてしまったことに気づかないままならいいのに、実際はこうやってあとから振り返ってはぬぉぉと心でうめき声を上げ、小6の頃ちーちゃんから言われた言葉を思い出す。

コミュニケーションが得意な人なら「そんなちーちゃんとは今でも仲良くしてます」的なオチがつくのだろうが、人見知り科転勤属の動物である私にそんな後日談はありません。それでも私は元気です。

(どみの)

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