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ホモ・サピエンスは共感の生き物?

ホモ・サピエンスは共感の生き物、助け合う動物だという見立てがありますが、

もちろん、仲間でだべったり団欒したりするのはすごく楽しいんです。充実感というか、濃密な時間感覚、存在ごと肯定される感じを得られるんですが、

だけど、あくまでこれ、「人間は自然界では弱い」という前提でのみ好意的に成立した本能なんじゃないかという気もするんですよね。

いま現在、衣食住もほぼ解決され、資本主義が(良い悪いは別にして)生活をより豊かに、より便利に更新していってる中で、「人間は弱い生き物だ、助け合わないとやっていけないくらい弱い生き物だ」という身体感覚はもはや希薄になってきて、正当化しづらいものになっている。

自然界を見渡してみても、群れる動物っていうのは必ずしも一般的じゃなくて、いわば「一匹狼」な生き物はたくさん観察することができる。霊長類ですら、オランウータンやキツネザルのような「単独行動者」が存在すると。

環境の中で一定の優位性やニッチを確立できている生き物は、その限りにおいて、わりと単独行動的でいられるんだと思うんですよね。

人類に関しても、冷静に、自然界の動向からフィードバックを得つつ、その本能を改めて評価し、見定めていくべきだとすれば、さしあたり、

「人間の本質には確かに共感的で利他的な傾向が認められるにしても、潜勢的には、助け合わなくてもやっていけるくらい余裕が出れば、いつでも集団を出て自由にやりたいと思っている・・人間とはそんな動物である」

と仮に見積もってみるのもアリかもしれない。

そういうポテンシャル込みで人間の共感性や利他性を評価していくことで、人間の本性について、変な過大評価もしくは過小評価を、少しでも避けられるんじゃないか。

個人主義、自由主義、多様性の尊重っていうのは、単に近代文明の達成であるとの「小さい」話にとどまらず、ひろく、自然環境の中で一匹狼な強者としてふるまいたいという人類の憧れが、生物学的に成就されつつあるっていう大風呂敷な話だとして、新たに位置づけることも可能なわけです。むしろ、こういう補助線を引いた方が、現代社会の人間のふるまいを観察するにつけ、見通しが良くなるかもしれないなと。

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