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離れたまちにもう一度行く理由

この前のお休みに、地域おこし協力隊を辞めてから初めて大子町に行きました。

新しく始めた仕事が忙しかったり、消えないモヤモヤを抱えていたりして、周辺地域には足を運んでいたのに、大子町には一度も行くことができなかった。

素直な気持ちでもう一度行きたいと思えた時に、小さな一歩を確実に踏み出そうと思っていた。

そんなわたしとまちをもう一度つないでくれたのは、くすぶって納得のいく活動ができていなかったわたしを”地域おこし協力隊”にしてくれた、楮栽培農家のご夫婦だった。

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冬の記憶のまま止まっていた大沢は、すっかり夏になっていた。

やっぱり大子町の空気はとってもおいしくて、流れる水は透明で、緑がきらきらしてた。

県北の自然は本当にダイナミック。

楮は水がきれいな場所じゃないとできないんだ。

何度も聞いた言葉だけど、これだけの美しい自然あっての一級品なんだと思わされる。

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通い慣れたおうちに行くと、
師匠は相変わらずツンデレ対応で(笑)
おかあさんはいつもの優しい笑顔で迎えてくれた。

二人は本当に素敵夫婦で、わたしを孫のように扱ってくれる。

お互いになんでもない近況の話をして、何度行っても思うけど、本当に大沢は落ち着くだいすきな場所だなあと思わされる。

二人ともガラケーだったのに、スマホ?を使うようになってて、「大子那須楮保存会ってやると宮田さん出てくるんだよ!」ってGoogleでわたしが書いた楮の記事を出してわちゃわちゃはしゃいでたりしてかわいかった。笑

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そのあとお師匠と一緒に協力隊時代に苗木を植えた畑に行くと、足首程度しかなかった楮がおおきくすくすく育っていた。

3ヶ月前までと変わらず、楮を見ながら熱弁する師匠には、言葉節々から生き物を育てるプロだなと思わされる。

今は、去年の今頃はじめて畑に入れてもらってやった、「芽かき」という作業と草と葛藤する期間のまっただなか。

去年はどれが芽なのかわからなかったけど、今は一目でわかるし、会話をしていてお師匠との共通言語も増えたのを実感する。

これは一年通して楮の作業を一緒にさせてもらえたからなんだろう。

同じ年の紙すきを目指す地域おこし協力隊の子が2週間に1回通っていることや、繋いだご縁が継続されていることなども聞いた。

それに嬉しかったり、なぜか悔しかったり。

わたしは紙すきにも、楮栽培農家になるつもりもない。
ただ楮の作業と、楮関係の人たちと、大沢がすきなだけ。

これは協力隊時代から、むしろIVUSA(大学時代所属していたボランティア団体)の頃からのモヤモヤかもしれないけど、「地域に通う」ということが、未来にどう繋がるのか、今していることが楮や大子の未来にどう影響するのかもわからない。

それでいいのかな。
というか、今はそれしかないのかも。

わたしと楮・大沢の物語はやっぱり終わってなかったんだと思った一日だった。

気を使った社交辞令でもなく、必然のような会話の流れで、次の約束をしてきた。

ただただ、
会いたい人がいて、すきなことがある。

すきだから、
「また来る」という言葉を嘘にしたくない。

だからわたしはまた、離れたまちへ行く。

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▼「数年の命と言われる特産品を繋ぐ!ユネスコ無形文化遺産の原料の産地で戦う背中。」(キーマン紹介・まち冒険)

わたしが書いたお師匠の紹介記事
https://machibouken.com/keyman/detail/144

▼「ユネスコも人間国宝も認める高級和紙。絶滅寸前の原料を守れ!」(応援記事・まち冒険)

常陸太田市出身ライター小林さんが書いてくれた応援記事
https://machibouken.com/cheer/kantou-area/ibaraki/6840


#大子町 #大沢 #楮 #和紙 #原料 #茨城 #地域に通うとは

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