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琴、空へ

2024年9月9日、17時48分に最愛のハムスター、琴が永い眠りにつきました。
幸い一日中そばにいて看取ることが出来たので、琴への愛と感謝を込めながら、最後の思い出を記事に残しておきます。

文章化することはわたしにとって最も効果的な心の整理方法です。
そしてこの話は彼女がハムスターとしては長い生涯を生き抜いた証であり、それを知ってもらうことは琴への供養になると考えています。
とっ散らかった文章でしかも悲しい内容ですが、よかったら最後までお付き合いください。


朝の様子

夜は一番空調が効く二階の部屋で一緒に寝ていたので、目が覚めるとすぐ琴に「おはよう」と声を掛けてケージを覗くのが習慣でした。
昨日の夜用意したごはんがちゃんと減っていることに一瞬安堵したものの、昨日一昨日の朝の減り具合に比べると半分ほどであることに不安を覚えました。

ケージを一階リビングの定位置に運ぶ間、いつもなら起きてどんぐりの巣箱から顔を出したり、もぞもぞ動く音がするのにほとんど動きがありませんでした。

中を覗くと起きてはいたので、いつも通りスプーンに垂らした薬を口元に運ぶと、一口舐めただけで動きが止まってしまいました。
普段は時にスプーンを噛むほど進んで舐め回すので苦労しないものの、気分なのか嫌がって飲まないことはたまにあります。
そういう時でも好物のペースト類で誤魔化せば一瞬なので、2日前に買って食いつきが段違いだったスタミノンをほんの少し付けて差し出しました。

一瞬舐めたように見えて「ん?いけたか?」と思った途端、顔を背けてしまいました。
不安になってついしつこくスプーンを近づけていたら、とうとう手で押し返して来ました。
これは相当にまずいと直感的に思いました。

ちょうど1ヵ月前にいきなり2日ほど拒食して様子がおかしくなって以来、調子が戻っても食はやや細くなってしまい体重は33gほどしかありません。
一度腹腔穿刺をしたときのことから推測すると、恐らく4gくらいは腹水です。
前回の通院では、食べられるものを好きなだけ食べさせて体重を落とさないように、これ以上減ると危険だと言われていました。

ただ、琴はもう2歳7ヵ月半になっています。
2歳を超えてきた頃から、苦しめてまで無理に延命しようとするのは琴のためにならないと考え、強制給餌はしないと決めていました。
自発的に食べる限りにおいては好きなだけ食べさせるという方針です。
先月のように突然また食べ始める可能性に賭けて、ごはんとおやつをたくさん用意しました。

エキゾチックアニマルにとても詳しいかかりつけは週に一度の休診日。
他に琴を診てもらったことのある病院は開いているところもあったけれど、正直あまり信頼しきれないし、その上片道車で20分のかかりつけの倍近く遠いところにあります。
そもそもこの状態で連れ回すのは負担が大きく、診察してもらったところでどうにかなるものではない気もしました。

回復を祈りつつも、看取る覚悟を決めました。
普段通り全面に敷いているキッチンペーパーと新聞紙を取り換え(この頃トイレ以外でもおしっこするようになっていたため)、朝食と一通りの家事を済ますとケージごとテーブルに乗せてその前に座りました。
琴はどんぐりの中でたまに向きを変えるくらいしか動かず、呼吸で上下するばかりの小さな背中をひたすら見ていました。

午前中の様子

10時40分頃になって、ようやくゆっくりと出て来ました。
鈍い動きでエサ皿を覗きにきたものの手を付けません。
食べやすそうなものをスプーンであれこれ口元に付けても反応がなく、最後には朝と同じく顔を背けて手で押し返しました。
嫌がらせて申し訳なくて、でも可能なら何か少しでも口にしてほしくて、どうしたらいいかわからなくなりました。

ほんの少しのおしっこをして、どんぐり巣箱に戻る道すがら、大きくはないうんちを2個落とすとうずくまってしまう琴。
夜中のいつからかはわからないけれど、かなり長い時間飲食していないのがわかりました。
触られるの嫌かなと躊躇いながらも撫でると、少ししてどんぐりに帰って行きました。
身体がいつもより冷たく、本当に厳しい状態だと実感しました。

生き物は体温の維持に多くのエネルギーを費やすといいます。
そのためにたくさん食べる必要があるのだとも。
飲まず食わずの琴の体温が下がるのは当然のことです。
食べない状態でも体力を温存させるには、外から身体を温めてはどうかと考えました。

琴は元々手乗りではありません。
かかりつけの先生の手だけはおとなしく乗るけれど、わたしや他の獣医さんが乗せると噛んだり降りようとしたり歯ぎしりしたりして嫌がります。
それに調子が悪い動物の本能で隠れていたいかもしれない。
そこで、どんぐりにいる琴を下に敷いたキッチンペーパーごと手に乗せることにしました。

巣が動いて平たいとは言えない掌に乗ったので、琴は外の様子を伺う素振りはしたものの、特に嫌がる感じはありませんでした。
暑くなりすぎてもいけないと思い、しばらく温めるとケージに戻して気が気でないまま急いで昼食をとりました。

14時前くらいにも巣箱ごと温めましたが、今振り返って思うと、温めて体力を温存させるという発想は無闇な延命措置だったかもしれません。
体力に余裕が出れば食欲も出るかもしれないと思ってのことでしたが、不要で間違った判断だったかもしれないし、何より琴にとってよかったのかどうかわかりません。

昼過ぎの様子

ほとんど動きはないものの、時々巣箱から顔を出しました。
どうしても諦めきれずスプーンを差し出しては拒否され、何度も謝りました。

14時過ぎに温めていた巣箱を降ろすと、琴が出て来ました。
回し車に乗りたそうにしていましたが、ここ1ヵ月後ろ脚がうまく立たない上に弱々しい動きで自力では登れそうにありません。
手を貸すというよりほとんど掴み上げるようにして乗せました。
座り込んでしまい回す気力はないようだったので、「よくこうやって休んでたよね」と話しかけながら小さくゆっくり左右に揺らしました。

満足したのかどうなのか、ゆっくりと回し車を降りて立ち止まりながら時間をかけてどんぐりに帰る琴。
この時14時半を過ぎたくらいかと思いますが、11時頃を最後にうんちもおしっこも出ていません。
好物のビーポーレンや雑穀類も鶏ささみペーストもペットミルクも、何を見せてもやっぱり顔を背けて払いのけました。
先月絶食中に唯一受け付けていた給水器の水やはちみつを薄めた水にも反応せず、もう回復は見込めないだろうと、本当に腹が決まりました。

どれだけ時間が掛かろうと付きっきりで見守ると決め、「すぐ戻るから待っててね」と声を掛けて外に干していた洗濯物を急いで取り込みました。
呼吸は安定して寝ているようだったので、近くにケージを置いて様子を見ながらハラハラしつつ急いで畳んで片づけました。

夕方の様子、旅立ちの時

リビングのテーブルにケージを置き直し、眠る琴を見守りました。
普段と違いどんぐり巣箱の手前で寝ていたので、時々身動きして体勢を変えるとお尻や小さな足が外に出てきたり、お腹の横の波模様がよく見えたりしました。
こんな時だけれど、とても愛おしく思いながら見ていました。

琴がまたゆっくり出て来て、回し車に手を掛けました。
なんだか登れそうだったので、手を足場にすると自力で登ってくれました。
回したいようならサポートしようと思いましたが、せっかく乗ったのにすぐ降り、特に何をするでもなくどんぐりに戻っていきました。

静かな時がしばらく続きました。
時々姿勢を変えて巣箱の入り口からお尻やお顔をちょっとはみ出させながら眠っているようでした。
苦しくないならこのまま眠って逝けるなら琴は幸せかもしれないと思いました。

16時頃になって、琴が急に「キュー、キュー」と小さく鳴きながら巣箱から出ようと少しもがきました。
出て来ると周囲の匂いを嗅ぐようにして、なんだかそわそわしていました。

もしかしてわたしを探しているのかもしれないと思いました。
「ここにいるよ」と言って骨ばった小さな背中を撫でると、鳴き声とそわそわが落ち着きました。
呼吸は浅く、いよいよ最期が近いのだろうと思い、しばらく感謝や気持ちを伝えながら撫でていました。

手の中で看取ることは多くのハム飼いさんの夢だと思います。
正直に言えばわたしもそう望んでいます。
けれども自由人の琴は手乗りが好きではないし、平たい地面で自分の楽な体勢をとって、何にも干渉されずに自然な形でこの世を去るのが琴にとっていいことだと思っていました。
考え方は人により様々あると思うし、飼い主さんの手が大好きな子なら話は変わってくるけれど、わたしとしては、琴の生の最後の瞬間に本人の意思や尊厳より自分のエゴを優先するようなことをしたくありませんでした。

だから、看取りは見守るだけ。
琴が2歳を超え、いずれ迎える死を一層意識するようになってから、何度も自分に言い聞かせてきました。

それでも、一度か二度、琴に話しかけているなかで「最期は手の中で看取れたらいいなぁ」というようなことを言ったことがあります。
もしかして琴はそれを覚えていたのかもしれないと思いました。

野良寝をしない琴が先月の絶食時、どんぐり巣箱から苦しげにケージの手前に出てきて寝始めたのを見た母が「ちひろにそばにいてほしいのかもしれないよ」と言ったのも思い出しました。
あの時もわたしが見守るなかしばらく寝た後どんぐりに戻り、またしばらくして出てきて見守られて眠るのを何度か繰り返していました。

でもそれはたまたまだったかもしれません。
それにあの時は手に乗せたら降りようとしたり歯ぎしりしたりして嫌がりました。
今だって撫でているだけでも落ち着いているし、琴がわたしの手の中で看取ってほしいと思っているかもなんて、あまりにも都合よく考えすぎじゃないかと迷いました。

でももし万が一、本当に琴自身がわたしにそばにいてほしいと思っているなら…という気持ちもありました。
自然に旅立ちたいならどんぐりの奥に隠れたままいるだろう、呼ぶような鳴き方や探すような素振りはしないんじゃないか、と。

琴が望むことはなんでもしたいし、出来る限り叶えるのが飼い主であるわたしの願いであり務めです。
少しでも嫌がったり苦しそうにしたりするならすぐ降ろすと決めて、「琴、抱っこしていいかな」と声を掛けてから抱き上げました。

いきなり直に手に乗るのは嫌かもしれないと躊躇って、巣箱に敷いてあったキッチンペーパーの上に乗ってもらってから手に乗せました。
結局収まりが悪い感じがして、直接手に乗せ直すことにしました。
楽ではないだろうに、何度も動かして申し訳ないことをしてしまいました。

手のひらに乗せる瞬間、子供の頃飼っていたロボロフスキーの男の子に、死の淵の最後の抵抗で思い切り噛まれたことを思い出してつい少し怖くなりました。
けれども琴は手のひらに添うようにおとなしく身体を預けてくれました。
琴はまるで甘えるかのようにしがみつき、小さなお顔を手のひらのカーブに乗せてこちらを見ました。
なんだかちょっと微笑んだような表情に見えて、かわいくて、愛しくてたまらなくなりました。

それからはずっと撫でながら「ありがとう」や「大好きだよ」「愛してる」「楽しかったね」「よく頑張ったね、偉いね」「琴に出会えて幸せだったよ」などと話しかけ続けていました。
琴は時々体勢を変えて、親指の付け根などの手のひらの盛り上がりに顔をもたせかけたり、指の股に顔を擦り付けるようにして突っ込もうとしたりしました。
多分苦しさもあっての行動だろうからかわいそうだったけれど、ぴとって顔をくっつけるのが甘えん坊のようで本当に愛おしくて。

生前最後の写真

しばらくしてから、ずっとほとんどぺたんこだった身体を起こして、後ろ足で腰のあたりをゆっくりカイカイしました。
掻いたあたり(恐らく患っていた肝臓)が腫れていたので、痒いというより痛かったのかもしれません。
掻き終わると丸くなり、下顎呼吸が始まりました。

ついにこの時が来てしまったと思いました。
けれども下顎呼吸になると、もう本人は苦しくないそうです。
本当につらくて悲しかったけれど、琴が楽になれたのならと少しほっとする気持ちもありました。

聞こえているのかわからないけど、目を覗き込んで一層気持ちを込めてたくさん声をかけました。
ほとんど「ありがとう」しか言えなかったような気がします。
でも大好きも愛してるも楽しかったねも頑張ったねも幸せだったよも、「ありがとう」に全部こもっているからそれでよかったと思っています。

下顎呼吸は5分くらいだったか、もっと長かったか、それとももっと短かったかわからないけれど、ある程度続いた後、身体が少し浮き上がるほど大きな、ゆっくりした深呼吸のような動きをしました。
それを1回ごとに間隔を少し長くしながら5回くらいして、琴は息を引き取りました。

とうとう逝ってしまった。
少しも動かなくなった小さな身体、理解した瞬間から嗚咽が止まりませんでした。
最期の瞬間まで涙声ながら琴に伝わるようにしっかりありがとうを言えていたのに、しばらく言葉になりませんでした。

琴にはわたしの笑顔や明るい声を覚えていてほしかったけれど、朝からずっと泣き通しのボロボロの顔で覗き込まれて、ひどい涙声を延々聞かされて参っただろうな。

開いたままの目を閉じさせた後、いつまでも抱いて温めているのはよくないと思い、保冷剤をケージに置き、キッチンペーパーを敷いた上に横たえてティッシュで覆いました。
一緒にかわいがってくれた家族に連絡をして、ひとしきり泣きました。

最後の夜はこれまでと変わらず、二階の部屋で一緒に眠りました。
何の物音もしないケージの隣で眠る夜はとても寂しかったです。

別れの朝

いつものように朝一番に琴におはようの挨拶をして、一緒にリビングに降りました。
朝のお世話ルーティンの投薬と食べ残しの片づけがなくて、自家栽培で毎日琴に食べさせていたブロッコリースプラウトの世話だけあるのは変な感じでした。

朝食の後、琴に持たせるお供えセットを用意しました。
ごはんとおやつ一式は、好きだったひかりハムハムとビーポーレン、雑穀類を特に多めに。
ごはんを詰めたラタンボール、大好きだった人参クッキーのおもちゃ。
多分もう1年くらい遊んでなかったけど、一時期ハマってたりんごの枝も一応1本。

父が庭の先代ペットのお墓の横に琴のお墓を掘ってくれ、わたしはその穴に牧草を敷いて整えました。
家族みんなで私が抱く琴を順に撫で、感謝とお別れの言葉を伝えてから、牧草のベッドに寝かせました。
琴を囲むようにお供えを並べ、もう一度お別れを言ってから牧草で覆い、その上から土をかぶせました。
お線香を立て、庭に咲いているコスモスをみんなで摘んで供えました。
よく晴れた暑い朝でした。

最後に

ずっとnoteに琴の話をいろいろ書こうと思っていたのに、初めての記事が最期の日になってしまいました。

8月半ばから一気に老いが進んだものの、動きは力強くて回し車で走ろうとしたり、食欲も回復の兆しが見えたりしていたので、まだもっと一緒にいてくれるのではないかと思ってしまっていました。

もしかするとそれは被捕食動物の本能的に元気に見せていただけだったかもしれません。
安易に大丈夫だ、衰えは年齢的なものだろうと判断してしまっていたかもしれないことに申し訳なさがあります。

ただ…
自分への気休めや言い訳になってしまうかもしれないし、本人の実際は違ったかもしれないけれど、それでも激しく苦しむ様子がなかったこと、穏やかに旅立てたことはよかったと思っています。
本当に、ついに寿命が来てしまったということなのだろうと。

手の中で看取らせてもらったこともやっぱりエゴが過ぎたのではと思わなくもないけれど、前後の琴の行動を考えると間違ってなかっただろうと思います。
琴の最後の望みを叶えてあげられたのかもしれません。

台湾生まれのハムスターに四十九日などの概念が適用されるのかわからないし、天国や虹の橋、ハムランドといったものが本当にあるのかもわからないから旅立った琴が今どうなっているか見当もつかないけれど、もしそういうものがあるのだとしたら、今頃自由な身体で思う存分爆走しまくってるんじゃないかなと思っています。

お空にはうちの歴代ペットたちもたくさんいるから寂しくないと思うけど、琴が一番おてんばで激しい子だからちょっと心配かもしれない(笑)

琴はこれ以上ないくらい飼い主孝行な、立派に力強く生き抜いたハムスターでした。
琴がうちに来てちょうど2年5ヵ月、本当に毎日楽しくて幸せでした。
琴も幸せだった、楽しかったと思ってくれていたらいいな。

琴、生まれてきてくれて、遥々旅してうちの子になってくれてありがとう。
きっとまた会おうね。
ずっとずっと大好きだよ。

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