これは墓場です。 皆さん初めまして。浜月詩鉄と申します。本日よりnoteを始めることになりました。 初投稿ということで、なぜ私がこれを始めることにしたのか、綴りたいと思います。 私は2020年、中学3年の時に詩を書き始めました。当時はコロナ禍初期で、休校時の何もない時間と休校明けからの多忙さのギャップや家庭内に降りかかった不幸などが災いし、完全に心が折れてまともな精神状態でいられなくなったのを覚えています。死や自分の身の破滅すら願ったその時、中原中也の詩に出会いまし
砂利道隔て 黄色いとうきび畑 白いとうきび畑 それぞれ 果てなく並んでいる 対照的な色でさえなく でもどこかはっきりとしている 1時間くらい経ったであろうか 地平線から 少女が現れた 同じくらいの歳だろうか 会ったことのある気がする いつの記憶であろうか 少女は言った 1年ぶりだと ここはどこかと問えば 生死の境らしい 私には訳がわからなかった 辿り着かないと分かっていながら 少女を連れて 私は地平線を目指した 疲れた気がして 自分勝手にも ベンチに座った 少女は隣に黙
今日という日ばかりは耳たて ほんに言葉を聞かねばならぬ日 何一つとておもんない日 社交辞令は良いってさ馬鹿 嘘も方便だってさ馬鹿 革命の如く真っ赤に染めて 生きてることも、嘘と言ってよ 君が先へ行くことだって 嘘なんだろう?きっと嘘 年度初めが半端な遊び こんなのみんな何が楽しい こんなのやめて仕舞えばよろしい
私の生きる理由とは何だろうか。 そう考えることがよくある。生きる「意味」という話でいうと、とうの昔に「そんなものなどない」と結論付けているのだが、理由ということになると、その答えがちらついたり、消え失せたりする。そもそも理由という概念もまた存在しないものなのかもしれない、そう思いもするのである。 先日、私は友人を食事に誘い、食事後にカフェで長時間の会話をした。その人は中学からの友人(友達という方が本来ニュアンスとしては適切なのだが)で、詩を読んでもらったり、相談したりと
もう黙って 「幸せだ」って言うべきだ どこか行きそうな君といること 彼岸荒れ 君がいてさえ不安になりそうな 川湯の夜道を歩く 憂鬱な時の 詩ばかり輝いて 光と影が交差する様に 君の好きなもの もう一つ好きになろう 生姜に「紅」の一文字添えて 電池の切れかけた 優しさばかり売る 「僕の為だ」と無意識に三度
大きな勝負に敗れた月に もう一度の思いで立ちあがろうとして 朝起きてみたが寝てしまった こんな人生なら煙草を吹かしたい 取り憑かれたような恋をし 叶うわけもないことを知って 新たな亡霊は殴り書きの詩と旅をする こんな人生なら煙草を吹かしたい どこを見渡しても勝鬨が聞こえる街で 劣等感に苛まれる少女に肩を寄せて 充電2%の優しさを売ってしまう こんな人生なら煙草を吹かしたい
自分の詩の形を模索する上で、かつて実験的に作っていた三行詩です。三行に込めるというのは想像以上に難しく、技術が必要ですが、その分面白さがあるのも事実です。 三行詩というコンセプトを思いついたのは、恐らく石川啄木の『一握の砂』を読んでのことだと思います。僕の詩はおおよそ孤独感と大切なものへの愛情や恋慕の上にしかありません。それらもありますが、三行詩集の中には日常の遊び心や呟きのようなものも含めています。僕自身、読みながら懐かしさを感じていたところです。 匂い 貴方に似た
いつか見た世界引き込まれてゆくように 二階から見下ろした丸くて真っ赤な果実 どっちも本当さ でも昔の「本当」には戻れない きっと未来の「本当」は別のどこかで大きく実ってる あの日の喜びが笑ってくれると思ってる けれど今は無音だけが響いてる 未来はこの胸の中 あの森の向こう側 新しい街で もう一度踏み出していきたい 細く差し込む陽光(ひかり) 温かくなった右手 幼子のように眠り あなたが出てきた夢 いつか見せたかった あの海沿いの駅は きっと僕等と違って今日も変わらない
南口から太く長く続く イルミネーションの並木 サングラスなしには歩けない でも白色一つの世界に 何かが欲しい気持ちは 僕にだってある マルーンの夢を浮かべる 三宮まで揺られた 阪急電車の車窓から見た 街の輝きを思い出しながら 大通公園で立ち止まって 頬の赤さを感じる時 それだけがマルーンに近い 他に何もない その後も影のかかった窓や ホットコーヒーに映る自分を ほとほとと見るわけだが あの夢の行き場は 顔に書いてることはない マルーンの夢に君宛ての手紙は 意味をもてず