【番外編】ピースボールプロジェクト活動記
2021年9月14日、ウガンダについて約1ヶ月経過。
この1ヶ月の間に感じたこと、文脈無視で思いつくままに筆を走らせたいと思う。
文字のみで7429文字ある上に文脈がバラバラなので読みにくいかもしれませんが、時間ある方は読んでみてください。
今はサッカーアカデミー創設に向けて動いていて、残りのウガンダ滞在期間はほぼ全てのコストをここに注ぐつもりだ。
そして日本帰国後、将来的にもこのプロジェクトに、ウガンダに長く付き合っていくのだろうと僕の直感が囁いている。
人生の目的の1つに「自分のサッカーチームを持つ」というのを心のなかで掲げていて、仲良い友達や家族にはよく相談したものだ。
個人的な将来プランではおよそ35歳ぐらいのときにサッカーチームを創設する予定だったのが、まさかウガンダでまだ「アカデミー」という形ではあるが自分が指揮を執るサッカーチームが作れつつあるのは良い方の予想外。
アカデミーの名前は「Uganda Empowers Soccer Academy(UESA)」である。
今インターンをしている「Uganda Empowers」という現地CBO(Community Based Organization)のプロジェクトとして始動する。
その理由は「責任」にある。
もしアカデミーに通う子どもたちに当活動内で何か問題が起きたときに、もしそのアカデミーがどこにも登録していない幽霊組織であれば、誰に責任を追求するのか不透明。
かといって、このまだ何も活動していない組織をどこかに登録するには時間とマンパワーが必要である。
僕のウガンダ滞在期間に何とか活動開始まで漕ぎ着けたかったので、「サッカーアカデミー」としてオフィシャルな登録はせず、「Uganda Empowersの数あるプロジェクトの1つ」として導入することに決めた。
当分は非営利の活動になるので、利益に関するお金の問題は現状考えていません。
ただ、活動資金は必要で、最小限のランニングコストがいくらかかるのかを計算した。
週1回の練習、月2回の試合、合計6回の活動にかかる月のコストはおよそ500,000Ush、日本円にして約15000円である。
これにはコーチの給料と交通費、選手とコーチの飲料水代、審判の給料などが含まれている。
繰り返しになるが、これは最低限のコストであって理想ではない。
欲を言えば週3日は練習させてあげたいし、試合も毎週組める方がいい。
更に今は「7人」という最小限の人数でスタートするが、できるだけ早くその人数を増やしたい。
なぜなら、選ばれなかった他の子どもたちの中に「嫉妬」の気持ちが芽生えてくるからである。
あの7人はアカデミーでスパイクやゴール、コーチ付きの練習をしているのに対して自分たちは何もない。
定期的にアカデミーに入るための「選考会」がなければ子どもたちのモチベーションが上がらないだけでなく、アカデミーに通う子どもたちが孤立しかねない。
そんな負の状態を避けるために、一刻も早く見込み予算の増加と、現地での人手を増やす必要がある。
自分はウガンダではなく、日本で活動することになると思うので日本でのマーケティングが主な仕事になるだろう。
一方で、現場のコーチやUganda Empowersのスタッフには練習の質の向上や、現場の写真/動画の提供が求められる。
Uganda Empowersでは太陽光発電事業を行っていて、そこから利益は出ているが、その利益はスタッフの給料や学校/クリニックの建設/運営に回されるか更なるビジネスへの投資に注がれるので、アカデミーに対する出資はほとんど期待していない。
むしろ個人的にも前者の慈善活動への資金に回してほしいと考えている。
サッカーをするには教育と健康な体が必要不可欠だからである。
最後にサッカーアカデミーの目標について書く。
10年後の2031年までにこのアカデミーからJリーガーを輩出する。
サッカークラブ化し、ウガンダプレミアリーグに参入する。
この2つがUESAの大きな目標、というより夢。
まずは小さく始めてルウェンゴ県で一番大きなサッカーアカデミーになる。
その次は最寄り都市のマサカ県に進出して、地域大会で優勝して全国大会へ。
海外、特に日本からの注目を集めてJクラブのスカウトを待つ。
こう書いていると「ビジネス」が目的のように聞こえるが、根源的な原動力は違う。
ウガンダだけでなく、世界中のサッカーが好きな子どもたちにちゃんとした環境でサッカーをしてほしい。
ただそれだけ。
でこぼこのグランドもしくは道路で、ゴミを丸めたサッカーボールを裸足で蹴る「サッカー」がもしかすると多数派なのかもしれない。
サッカーは確かに娯楽に位置づけられることが多く、生活が苦しい場合は二の次になる。
目先の食べ物を買うのがやっとの家庭で、サッカーボールやスパイクを買うことなんて不可能。
「魚じゃなくて魚の釣り方を教えろ」と機械的に唱える人がいる。
勿論、お金を稼ぐ方法は大事だし、モノを与えるだけでは根本的な解決策にはならない。
でも考えてみてほしい。
8歳の男の子にスパイクを買うだけのお金を貯める方法を教えて、実践させて、実際に稼げるようになるには一体どれくらいの時間がかかるだろうか。
20歳になってやっとスパイクを買えたとしても、それまでに費やした12年間は戻ってこない。
ただの例です。でも、「今」必要なモノだってあるはずで、生活の優先事項ではないサッカーの用具はモノだとしても与えることに意味はあるんじゃないかと思う。
勿論、それをすぐ売りに出さない教えと、管理できる能力が必要。
そのためにUganda Empowers(現地団体)と組んで、アカデミーという形を選んだ。
仮に練習道具を個人に渡すと現金化される可能性が高いし、既存チームに渡すとフォローアップが困難なのとこちら側から統率しにくい。
直近3ヶ月の目標は日本から使わなくなった小学生用のサッカー用具を出来る限り集め、ウガンダに送ること。
そして1年かけて日本での広報活動を継続して、少額でもいいからスポンサー、あるいは投資家を募ること。
それと同時にこのサッカーアカデミー、ひいてはUganda Empowersの活動を早いこと日本でビジネス化して何とかキャッシュフローを作りたい。
やること多いがウガンダとは長い付き合いになりそうなので、長期的な視野を持って行動していきたい。
おそらくこの1ヶ月間の活動で、この先何十年間の航路がある程度固まった。
少しだけ話題を変えよう。
ウガンダでの生活について思うことを書いてみる。
とにもかくにも日本での生活と180度異なるので何から書いていいのか分からない。
僕自身、東南アジアやインドなど所謂「途上国」と呼ばれる国には足を運んだことがあるが、それはあくまでバックパッカーとしての短期滞在だった。
今回のように1ヶ月間「住む」という経験は初めてだ。
一番苦しんだのは食かと思う。
僕が滞在しているのはLwengoというウガンダの中でも南の方に位置する県である。
首都のカンパラから車で約2時間半のところ。
首都カンパラへの一極集中が甚だしいウガンダは、「カンパラか、それ以外」に分類できると考える。
「それ以外」の地域ではカンパラから少し外れた郊外でも、もはやそこは田舎同然で、良くも悪くも何もない。
そんな場所での食の選択肢は無論限定的である。
特に初めの2週間は街から外れた丘の上の村に滞在していたので、出してもらう食の種類は多く見積もって4種類。
ウガンダの主食であるマトケと呼ばれるバナナ。
これが毎食出てきて、「マトケと何か」というセットが現場では常識である。
日本でいう米の位置に君臨するのがマトケと言えるだろう。
初めの1週間は正直本当にキツくて、日本から持ってきたインスタント味噌汁に助けられていた。
僕の中での「飯トレ」の定義はウガンダで変わったように思われる。
毎日3食マトケを食べる生活ほどこれまでの人生で食に関して苦しんだことはない。
日本帰国後に焼き肉を食べるのが待ち遠しい。
これは完全な持論になるのだが、「日本食を一番美味しく食べるコツは日本食を一定期間食べない」だと思う。
これは日本食にだけ当てはまることではなく、「ある」という状態が常態化してる日本人にとって、「ない」という欠乏状態を経験することはかなりキツイこと。
ウガンダに来て「ない」が当たり前になって、「ある」状態への欲望が以前よりかなり増したように思える。
日本食がない、洗濯機がない、電気がない、Wi-Fiがない、水道がない、トイレがない、電車がない、車がない、冷蔵庫がない、テレビがない、サッカーボールはない、などなど他にも足りないと思う部分は山程ある。
でもこれは「ある」状態を熟知している日本人の僕だからこそ感じることであって、日本に住んだことがない、そもそもウガンダから出たことがない現地人にとっては比較することができない。
勿論ジャングルに奥底に住んでいる訳でなはいし、スマホを持っている人たちもいるので、「世界には日本という豊かな国がある」という事実ぐらいは知っている。
したがって自分たちの国は「貧乏」なんだと理解している。
かといって彼らが毎日悲惨な日々を送っているのかと言われれば答えは否で、むしろ満員電車に揺られ死人のような顔をした某サラリーマンよりかは少なくとも幸せに見えることのほうが多い。
そこら中に笑顔が溢れているし、子どもが多いウガンダが活気に溢れている。
村では近隣の住民同士がすごく仲良くていつも助け合っているし、レストランに行けば知らない人同士でも井戸端会議が始まる。
この話の着地点が見つからないまま筆を進めるが、こういった貧富についての話題は結局のところ「幸せ」とは何か、という議論にいきつく。
私の幸せとあなたの幸せ、日本人の幸せとウガンダ人の幸せは全く異なるし、世界中探しても同じ幸せの定義を持っている人はいないはず。
お金があるからといって幸せとは限らないが、お金がないと出来ることは限られる。
このままこの話題を続けていくと堂々巡りしそうな気がするのでここで軌道修正。
次はコロナ禍でのウガンダ滞在について思うことを書いてみる。ウガンダの田舎からなのか、ぶっちゃけ皆コロナ対策に関してほぼ皆無。
マスクはしてないし、三密は当たり前、手洗い用の水も枯渇している。
僕は事あるごとに日本から持ってきたアルコール消毒をしていて、外出時は必ずマスクをつけるようにしています。
「アジア人の見た目+マスク」なので、知らない人から見れば「コロナを持った中国人」と思われることも正直かなり多いです。
明らかに僕を避けるような行動をする人もいます。ウガンダではコロナは中国から来たものという認識が強く、アジア人の見た目をした人は全員彼らにとって中国人です。
なので、冗談抜きに1日10回は「チャイナ!」と声をかけられます。
ただからかっている場合もあれば、完全に憎悪の念がこもっていることを感じる場合もあります。
チャイナと言われる度に日本人だと説明するのは骨の折れる作業なのでもう諦めています。
フル無視でいこうと決めても、やはり耳は反応してしまいます。
チャイナと呼ばれる度に少しずつストレスが蓄積していくのが感じられます。
そんなことを思ってるうちはまだ子どもなのかなと思いつつ、日本人としてのアイデンティティーのようなものを失ってはいけないのかもとも思う。
皆さんはチャイナ!と言われたときはどう感じるのだろう。
勿論、僕は頭ごなしに中国が嫌い、と言っているわけではないし、オーストラリアワーホリ中に友達になった中国人には本当に助けられたし感謝している。
ただ、一方的に中国人に間違われるのは嫌だし、チャイナ!と言われ笑われるのも何故か嫌だ。
あと1つ言われるのが「ムズング」という言葉。
日本語にすると「外人」あるいは「外国人」に当たる。日本語でも「ガイジン」という言葉は差別的なのでは、という議論があがっている。
どこに行っても僕のことを見ながらウガンダ人同士の会話で「ムズング」という言葉が聞こえてくる。
何の話をしているのか理解はできないが、自分のことを話しているのだけは分かる。
自分のことを話していることだけ分かって、その話の内容が理解できないのは気持ち悪い。
毎日この「チャイナ!」と「ムズング」の2つの言葉には神経質になってしまう自分がいる。
「ムズング」もそうだが、ウガンダ人同士はこのガンダ語という現地の言葉を使ってコミュニケーションを取る。
一方で、ウガンダはかつてイギリスの支配下にあったことから英語が公用語でもある。
ウガンダの大半の地域ではガンダ語が使われているが、地域によって話す言語が日本語の方言とは比にならないほど異なり、ウガンダ人同士でも理解できないことがある。
その場合にはお互いが英語を話し、意思疎通を図る。ウガンダ人の英語レベルの高さにはしばしば驚かされる。
繰り返しになるが、僕が住んでいる場所はウガンダの中でも田舎に分類される。
更に僕が住んでいたところは田舎の中の小さい村である。
勿論、外国人が観光で来る場所ではなく、日常的に英語を話す機会はない。
それにも関わらず、僕よりもはるかに高い英語レベルで会話をしてくるではないか。
ウガンダに来るまでは、英語は公用語といっても日常的には現地語を話すし、首都でもなければ英語レベルはそこまで高くないだろうと覚悟していた。
でもそんな考えも杞憂で、8割程度のウガンダ人は英語は理解できているしコミュニケーションが取れる。
では何故ここまで英語が話せるのか実際にウガンダ人に聞いてみた。
すでに書いた民族間の言語の相違に対応するためという理由もあるが、もう1つ大事な要素があった。
それは学校教育である。
ウガンダでは小学校から大学まで、授業は全て英語で行われる。
なるほど、合点がいく。
しかも授業内ではなく、校内に入った瞬間そこはガンダ語厳禁の世界。
もしガンダ語を話している生徒を見かけると、先生にもよるが外に立たせるなどの罰を与えるそう。
一番言語習得がしやすい年齢に第二言語としての英語を半強制的に学校で使うから、大人になってもある程度は覚えているわけだ。
もし日本の義務教育が全て英語での授業、さらに校内は日本語禁止になったらどうなるだろうか、と考えると生徒よりも教師が先に音を上げるだろうなと考えられるのが残念だ。
少し話はそれるが、最近の自動翻訳ツールの進化が著しい。
英語を学ぶ必要性がどんどん減っているのではと感じられる。
また、英語が話せなくても海外市場に向けたビジネス展開ができる時代が近づいてきているとも言える。
いや、どんどん狭まる国内市場だけでは耐えられない。
海外市場を視野に入れざるを得ない状況になったと皆が理解するとき、自動翻訳ツールがどこまで発達しているかで「英語力」の価値が変化する。
まぁどこまでテクノロジーが発展しても「ヒトvsヒト」はなくならないと思うので、ある意味「翻訳ツールに頼らずとも英語が話せる」という価値は逆に高まるのかもとも考えられる。
話をウガンダに戻そう。
これまで、サッカーアカデミー、食、言語について言及してきた。
まだまだ書き足りてないことは沢山あるが、このまま淡々と書き連ねていくと永遠に続きそうなのでそろそろ締めに入りたい。
最後にサッカーアカデミーについての今後の展望を記しておきたい。
つい先程、選ばせて頂いた7人の子どもの保護者にアカデミーの説明会を開いた。
こちら側が考えていることと、保護者がアカデミーに期待することに関して意見交換を行い、最終的に保護者の許可を頂いた。
運営側、僕自身が考えていることは、将来的にこのアカデミーから世界で活躍するプロサッカー選手を輩出すること、このアカデミーからウガンダで一番強いチームを作ること、サッカーだけでなくコミュニティの活動や勉学など人間的に成長できる環境をつくることなど。
保護者がアカデミーに期待していることは総括して「金銭面のサポート」である。
ウガンダの田舎では日本と違い、子どもが家の仕事を後回しにしてまでサッカーアカデミーに通うことは簡単ではない。
特に裕福ではない家庭では、子どもは大事な労働力になる上にサッカーというお金に直結しないことに時間を使わせてむしろスパイクやソックスなどで支出がでるなんて御免だという考え方。
「サッカー用具の提供」と「子どもたちの学費のいくらかを負担」がサッカーアカデミーに通わせる条件だとまとまった。
これが何を意味するかというと、僕自身が日本からどれだけ貢献できるかでこのアカデミーの今後が決まるということ。
ウガンダ現地のスタッフに金銭的支援を求めるのは困難。
僕が日本からサッカー用具の寄付と運営費を集める必要がある。
現場にいない分、日本から出来ることをする。なので、自分の役割は組織のバックアップ。
アカデミーからサッカー選手が輩出されるまでの道のりは長い。
10年計画で動いている。
まずは練習に必要なサッカー用具を日本から集める。
その後は支援金を募るのと同時に、新しく事業立ち上げて団体の寄付金としてアカデミーに投資する。
練習場が地面ガタガタで斜めってるし、ゴールは木で手作りでネットなし、小学生用の大きさでしかなくて隣の土地を買わないといけない、遠征に向かうためのバンかバスを用意する必要がある。
これは全部お金があればできること。
ウガンダに来て一番思うこと、それは「お金は選択肢を広げる」ということ。
当たり前のように聞こえるが、僕たち日本人が唱える「お金があれば、、」と彼らのとでは次元が違う。
お金があれば学校に通える、お金があれば病院に行ける、お金があれば1日3食食べられる、お金があれば服が着れる、お金があればサッカー用具が買える、、など僕たちが当たり前に持っている生活に必要なモノがウガンダではお金がないので揃えられない。
お金があればラスベガスに行ける、といった類の「お金があれば、、」ではない。
今後どんな人生を送るにしろ、こういった生活に最低限必要なものが自分ではどうしようもできない金銭的な理由で享受できない人たちを支えたい。
サッカーという文脈に限らずあらゆる側面で、皆が十分に機会の平等を得られる世界にしたい。
以上、ウガンダより。
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